アオちゃんの、スタッフになったワケ 
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僕が初めてメインストリーム協会に出会ったのは、高校生の時だった。
高校時代の僕は何かと否定的な人間だった。
学校生活に対してやる気はなく
「どうやって学生というしょうもない時間を消化するか」を考えて過ごしていた。

そんなある日、
英語科の先生が「青木ぃ、こんなんあるけど興味あるかぁ?」と言って渡されたのが、
『障害者甲子園』とかかれたイベントのビラ20枚だった。

障害者にも甲子園にも興味がなかった僕はパスする気満々だったが、
なぜか気がつくとメインストリームに電話してた僕がいた。

『障害者甲子園』はすごかった。

規模や知名度ではもっとすごいイベントは山ほどあると思う。
何がすごいかというと、みんなの「本気」がすごかった。
たった一つのイベントに
本気で怒ったり、泣いたり、笑ったりして、「本気」の力を思い知らされたイベントだった。

その中で僕自身が障害者がどうとか、差別をなんとかしたい!とかいうことよりも、
そこで働いているスタッフの「社会を変える!」てことを本気でやっている、
この人たちの「本気」に触れて、こんなところで俺も本気で働けたらなあと思っていた。

すると半年後、なれた。

すんなり声をかけてもらって、すんなり健常者スタッフとして、
アテンダント兼アテンダントコーディネーターとして働くことができて順風満帆だと思っていた。

だが、甘かった。

日々、アテンダントやコーディネートなどで何かミスをしても、
みんなが最終的にフォローしてくれるので
「そんなに真剣にやらなくても大丈夫」とどこかでたかをくくっていた。

確かになにかとフォローしてくれていたが、そのうちにクビになった。
言われたのは、友達としてはうまくやっていけるけど、
職場の仲間としては信頼して一緒にやっていかれないということ。
まだ10代だった当時はショックだった。

今から思えば、これで良かったのだ。
それは、一度クビになったからこそ、
メインストリームの、あの「本気」を再認識することができたからだ。
でも一度失われた信頼はそんな簡単には戻せません。

3年かかりました。

引越会社、卸売市場、北新地にあるトーク喫茶店でのマネージャーなど、
社会に出ていろいろなことを経験し考えていくうちに、
自分に足りなかったものは「責任感」だと解り、自分自身を見つめ直すことが出来た。

そして僕は、そんな紆余曲折を経て介助スタッフとして戻ることになったのです。

僕が最初に就職していた頃とは規模もメンバーもだいぶ変わってしまっているが、
中身は変わっていないと思っているし信じている。

金を稼ぐだけならもっといい仕事もあるだろう。
楽な仕事も他にたくさんあるだろう。

でも、「本気」と「責任感」を持ってできる仕事は数少ないし、
僕にとってはここがそうなのである。

みなさんも、せっかくやるからには本気で何事もやってみてください。
その方が絶対に楽しいから。

これは人生を楽しむ極意やね。
ただし、この極意は簡単に他言しませぬように。
だって、『出戻りスタッフ』の僕が出戻ってまでしてやっと気づいたことやから。