リュージの、スタッフになったワケ 
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ぼくがメインストリームと知り合ったのは、高3の9月ぐらいだったと思います。
学級委員長の稲富くんが障害者甲子園って大会の実行委員をしていて、
下地さん面白いからと、モジ邸に麻雀に誘われたのがきっかけでした。

そこの家主の下地さんは、こわそうな顔したおっちゃんで、
やくざの抗争とかで障害者になったんだろう思っていました。

何度かモジ邸に通っていると、
今度はハチマキをした、廉田さんという麻雀の強い障害者が現われました。
いつも勝って帰っているのを見ながら、
障害者って麻雀強くなるとかの一芸がないと食べていけないんだろうなぁと思いました。
あと、松原さんっていう結婚しているのに競馬で生活しているっていう、
廉田さんの友達の人にもびっくりしましたが・・・。

それから、週3〜4日ぐらいはモジ邸に通ったでしょうか。
それから3ヶ月ほどたった日、ぼくは負けて落ち込んでいたのと、
そろそろ受験勉強をまじめにやらないとあかんのもあって、
一旦、麻雀やめようかなぁみたいな話を麻雀が終わった朝方にしていました。
すると廉田さんに
「参加費おごったるからメインストリームの忘年会来いや」って言われました。

メインストリームの忘年会は、モジ邸で見たことある人もいましたが、
それよりも、初めて会う何人もの人に
「りゅーじだろ?知ってるよ」って感じで声を掛けられました。
メインストリームの人が麻雀しかしてないぼくのことを知っているのにびっくりしました。
そのころのメインストリームの印象は、
貧乏そうなのにいつも楽しそうにしていて、変な大人が集まっているところでした。

結局、1浪して受験日を2ヵ月後に迎えた1月、阪神大震災がやってきました。
家は全壊し、大学は何とか受かったのですが、
「高校を卒業したら早く家を出たい」と思っていたぼくは、
親と避難所で暮らす気にもなれなくて、
下地さんが地震後に引越した新しいモジ邸に居候させてもらうことになりました。
その同時期にメインストリームの事務所もモジ邸で居候を始めました。
朝は、玉木さんや中原さんが出勤してきて、夜は麻雀。
やっとそのころメインストリームの人たちに深く興味を持ち始めました。

メインストリームの大人はいままでの大人と違うなぁって思いました。
ぼくのいままでの大人のイメージは与えられた仕事を時間内にきちっとこなす。
でも、メインストリームの大人は自分たちで仕事や目標を考え、
目標が達成されるまでやる。
イベントを成功させたかったら、成功すると思うまで準備をする。
障害者を一人暮らしさせるために制度まで作る。
それって、かっこいいなぁって思いました。

ぼくはその中でも、
その時いた健常者スタッフ・本田くんは、かっこいいなぁって思いました。
ふだん仕事しているのか、遊んでいるのかわかんない感じやったけど、
自分の仕事のことを堂々と、しかも、すごく嬉しそうにしゃべる人を初めて見ました。
この本田くんが辞めるのは結構ショックでした。

大学を2年で中退し、フリーターでアテンダントだけをやっていこうとしてたころ、
健常者スタッフの募集があり、スタッフになりました。
ぼくはメインストリームに縁があるのかなぁと思いました。

ぼくがスタッフになって15年、かっこよく生きていきたい、
かっこいい組織にしたい。
そう思ってやってきました。
その手本になる人がいっぱい居て、同じように考える仲間もだんだん増えてきて、
ぼくはそうゆうメインストリームと縁があってよかったです。