ワッキーの、スタッフになったワケ 
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いままで色々な仕事をしてきた。でも一年以上続いた仕事は無い。
何故今の仕事は続いたんだろう??そんなことを考えながらこれを書いてみた。

僕がメインストリーム協会(以下メイン)を知ったのは25歳の春くらいだった。
前の仕事を辞め二カ月くらいフラフラしている頃だったかな。
母親から一通のメールが入った。
「次の仕事決まるまでバイトしない??」みたいな内容だった。
その後電話で詳しく聞いてみると
犬友達の娘さんのR知さんがメインにいて、
障害者の介助の仕事をしていてそこのバイトだった。

最初は「障害者??まじで!!興味ないし。」と正直思ったが、
暇やったし、まぁ話だけでも聞きに行こ思ってメインに行ったんよねー。

事務所に入った瞬間、
思ってたイメージとはかなり違って事務所がイキイキしてる感じがした。
もっと暗い感じのとこやと勝手に想像してたからね。

そこでメインの説明をしてくれたんが当時130kgくらいあったM野くん、
こんな体でっかいいかつい人がどんな話すんねやろー??って思ってたら、
めっちゃ真面目に障害の事、障害者運動の事について話をしてくれた。

あんな真面目なM野くんの顔はあの日以来見たことがないと言っても過言ではない。
でもこの話が僕の中で「障害のイメージ変わった第1ポイント」になったことは間違いない。

次に「障害のイメージ変わった第2ポイント」は何かというと、
新人研修の時のS地さんの話だったね。
話の内容は下ネタやらおもろい話だったが、
その話が僕と障害者の距離を縮めたのは確実だった。

ここまででてきた、R、M、S、がいたからこそ僕は今メインにいるのだろう。
もしこの3人のつながりがなかったら新人研修もうけていなかったと思う。

それからよくS地さんの介助に入るようになり、
それに伴って事務所にもよく出入りするようになり、
それで感じたことは年上でも先輩でもスタッフでも誰でも、話しやすいとこやなーと思った。

いろんな職場見てきたけどこんなに皆の距離が近い所は初めてで、
なんでも話しあえるのは変なとこやなって思ったけど、
僕には妙に居心地がよく仲間がふえてった。

そんなこんなしてるうちにメインの活動で、障害者の介助制度の充実などを求める
障害者運動にも参加するようになり、御堂筋や東京のデモに、
S地さんのアテンダントで参加してメインの真髄を見た。

いつもアホばっかりしているメインの皆が、
一致団結(その当時イチガンという言葉は知らなかった)して、
一生懸命で本気でデモに参加していた。

それでそのデモの結果、社会が動いたり法律に影響を及ぼしたりしたのを知って、
かっこいい、すげー、と思い、ここでずっと働いていこかなーっておもった瞬間だった。
これが「障害のイメージ変わった第3ポイント」。

まぁだから僕がスタッフなったんは、いろんな要因があるわけで、
R,M,S,と「障害のイメージ変わった第1、第2、第3ポイント」がからまって、
メインで働こうと思ったのだろう。

そんなこんなでメインで働くことになったんで、
こんなおもろくて、やる時はやる、みたいな世間から見ればちょっと変わった事務所が
ずっと続くように僕はそこに力をそそいでいっているところだ。