2007 ASIA TRY in Korea 報告書 
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1.TRY概要・歴史

TRYとは、1986年に始まった鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントのことです。
今まで大阪−東京、旭川−札幌、仙台−盛岡、高松−松山、鹿児島−福岡、福岡−東京間など
全国を車イスで歩きました。
そして2001年夏、TRYは海を越えて韓国へ。
日本メンバー・韓国メンバーが一丸となり「韓日TRY2001」と題し、釜山−ソウル間を1ヶ月間かけて激歩。
ワールドカップの競技場、鉄道の駅などをバリアフリーを訴えながら歩き、
その活動は韓国の鉄道、障害者観をもゆるがしました。
TRYの目的は障害を持つ者が自ら、行動を起こすこと(歩くこと)で、
社会に障害者の現状を訴え、仲間と一緒に旅をし、自分たちも楽しみながら社会を変えていこうとすることです。
 
2.2007 ASIA TRY in KOREA 〜障害者自立祭!!〜

2007年夏、アジア各国の障害者100人以上が韓国に集まり、
“社会で自立して暮らしたい!”、という思いを世界中に伝えるために
「2007 ASIA TRY IN KOREA」を開催します。
ソウル近郊から7つのグループに分かれて、野宿しながらソウルを目指して歩きます。

今回私たちはバリアフリーだけではなく、さらに大きく考え、
障害者が社会の中で生きるということを考えたいと思います。
日本では支援費制度や障害者自立支援法が出来て、障害者が社会に出て、
自立して暮らしていくという一定の制度はできました。
また国連においては昨年12月に障害者権利条約が採択され、
世界的に障害者が社会の中で暮らすということはあたりまえという認識になっています。

しかし、日本ではそれらはまだ社会全体ではあまり知られておらず、
誰もが自立して暮らしていける社会の実現には時間がかかります。

さらに他のアジアの国々では障害者を取り巻く環境がまだ成熟しておらず、
社会の中で暮らしていくのは日本以上に難しい状況にあります。
このような状況を変えるために私たちは歩きます。

私たちの考える「自立」はどういう生活をしたいかとか、
どういう生き方をしたいかを障害者自身が決め、実現していくことです。

トイレや食事などが一人で出来なくても自分自身のことを自分で決めることが大切だと考えています。
たとえどんなに障害が重くても、普通の人と同じように街で暮らして、
何らかの役割を果たしたり、友達と遊んだり、好きなところに出かけていったり、
恋をしたりできると思います。

それには、国境はないと思います。

2007年9月5日(水)〜8日(土)にかけて、
韓国でDPI(Disabled Peoples’ International)世界会議が開催され、
世界中の障害者が集まります。DPI世界会議では国際的な障害者問題について話し合われます。
プレイベントとして多くの人に社会で自立して暮らしていきたいという思いを伝えることが出来ます。

今回私たち障害者が中心となり、
一般韓国市民と交流しながらアジアの障害者問題を一緒に考えて歩いていきます。
アジア各国から歩けない人や、息ができない人や、目の見えない人や、
耳の聞こえないひとや、言葉が話せない人など、様々な障害を持つ人が参加します。

その期間中ミニイベントとか、野宿を共にし、汗をかきながらソウルまでの道のりを楽しみたいと思います。
灼熱の太陽の下、国を超え、障害を越え、共に笑い共に泣き、
新しい出会いをつくり、友情を深めて、
このTRYを通してアジアの中に障害者の大きなネットワークを作りたいです。
アジアの国々で一人でも多くの障害者が社会の中で自立して暮らしていける社会になることを願います。
 
【日程】2007年 8月28日(火)〜9月3日(月)

【場所】韓国・ソウル

【主催】2007 ASIA TRY 実行委員会

【後援】朝日新聞厚生文化事業団
     毎日新聞大阪社会事業団

【協力】ソウル障害者自立生活センター
     自立支援センター・ぱあとなぁ
     自立生活センター・あるる
     自立生活センター・東大和
     自立生活センター・メインストリーム協会
     自立生活夢宙センター
 
       
3.2007 ASIA TRY メンバー

  障害者 健常者   障害者 健常者
ネパール   カンボジア  
台湾 フィリピン   
マレーシア   カザフスタン  
パキスタン 韓国 36 32
インド   日本 37 43
インドネシア        

  障害者 健常者 合計
参加者合計 95 86 181名

 
4.全体スケジュール

日付 時間 プログラム
8/27(月) 19:00 全体オリエンテーション
8/28(火)
10:30
12:00
14:00
【TRY1日目】
開会式(国会議事堂)
ソウル駅へ出発
ソウル駅到着後、コース別に行動開始
各コース出発地へ移動
8/29(水)   【TRY2日目】コース別に行動
8/30(木)   【TRY3日目】コース別に行動
8/31(金)   【TRY4日目】コース別に行動
9/1(土)   【TRY5日目】コース別に行動
9/2(日)
12:00

14:00
16:00
19:00
【TRY6日目】
清渓川・五間水橋にて集結
全体で清渓川沿いを歩く
ゴール・閉会式
移動
交流会
9/3(月)   FREE
 
5.経過報告

1/10 TRY2007準備会議 4/27 2007 ASIA TRY説明会・CIL東大和
1/31 TRY2007準備会議 5/1 2007 ASIA TRY実行委員会議
2/14 TRY2007準備会議 5/15 2007 ASIA TRY実行委員会議
2/20 TRY2007準備会議 5/25 2007 ASIA TRY韓国・日本合同実行委員会議
2/27 TRY2007準備会議 6/12 2007 ASIA TRY実行委員会議
3/6 TRY2007準備会議 6/26 2007 ASIA TRY実行委員会議
3/13 TRY2007うだうだ言う会 7/27
〜8/1
韓国へ
韓国TRY実行委員会と会議
3/20 TRY2007準備会議 8/3 新聞記事掲載(読売新聞)
3/22
〜26
韓国へ
韓国TRY実行委員会と会議
8/7 2007 ASIA TRY実行委員会議
3/27 2007 ASIA TRY準備会議 8/14 2007 ASIA TRY実行委員会議
4/6 2007 ASIA TRY事務局会議 8/17 2007 ASIA TRY事務局会議
4/10 2007 ASIA TRY実行委員会議 8/21 先鋒隊・韓国へ出発
4/13 2007 ASIA TRY事務局会議 8/24 聴覚隊・韓国へ出発
4/17 2007 ASIA TRY実行委員会議 8/27 関西組・関東組・沖縄組・宮城組、韓国へ出発
4/18 募金準備

6.会計報告
(1)関西組会計報告
関西組収入 関西組支出
募金・寄付金 2.506.880 航空券代 2.096.909
企業協賛金 160.000 TRY期間中費用(食費他) 1.468.000
TRY・Tシャツ売上 4.169.000 TRY・Tシャツ作成費 2.321.770
TRY・タオル売上 60.000 TRY・タオル作成費 49.980
雑収入 4.208 道路使用許可代 71.960
実行委員交通費(事前準備) 237.813
募金グッズ作成費 43.143
企業まわり準備費用 10.869
横断幕作成費 14.847
郵送費 13.620
雑費 24.646
  
関西組収入合計 6.900.088 関西組支出合計 6.353.557

関西組収支合計 +546.531
 
(2)東京組会計報告
東京組収入 東京組支出
募金・寄付金 964.055 航空券代 890.030
TRY・Tシャツ売上 652.000 募金グッズ作成費 12.543
雑収入 192 道路使用許可代 4.200
実行委員交通費(事前準備) 172.820
郵送費 3.370
呼吸器レンタル料 31.500
雑費 525
 
東京組収入合計 1.616.247 東京組支出合計 1.114.988

関東組収支合計 +501.259

2007 ASIA TRY 収支合計 +1.047.790

※尚、今回の2007 ASIA TRYでの残金¥1,047,790につきましては、TRY2007実行委員会にて2009年に次回開催を
予定している「2009 TAIWAN TRY」の運営資金として使用することに決定しました。その間、責任を持って
TRY2007事務局にて保管致しますで、ご了承の程よろしくお願いいたします。
 
7.8.2007 ASIA TRY グループ報告
8.2007 ASIA TRY メンバーの感想
@関西組メンバーの感想

相場くん
8月27日、関空から韓国へ。みんなで歩いて宿舎へ。泊まるところにベッドはなく、椅子でベッドを作って寝ました。
電動車イスのバッテリーを充電しようと思ったらショートし宿舎が停電に、いきなりハプニング。

2日目、コースに分かれて移動。
サバイバルコースの俺は、
韓国の頚損の人、CPの人、介助者2名、知的の人と介助者のメインの山ちゃんの計8名で歩くことになった。
この日は大雨の中20キロ歩いた。
カッパを忘れた俺は、服屋の人に袋をもらいカッパ代わりに歩いていると、
警官が、かわいそうに思ったのか、カッパをくれ俺のだけ「ポリス」って書いてた。
歩いてる途中で、畑にできてるぶどうを採ったり、
通りかかった郵便局のおっちゃんが「トライ頑張れよ」って、バナナをくれたり・・・

3日目、この日も雨で40キロ歩いた。
途中一人一人に疲れが出て、熱があるメンバー、
自分も両足が張り、びっこを引きながら歩いていました。
この日は駅の待合室で寝ることになり、みんなで寝袋を敷いて駅を歩く人に見られながら寝ました。
駅にシャワーがあったのですが水しか出ず、震えながら入り、シャンプーもなく石鹸で頭を洗う。
始発が始まる前に起き、またみんなで歩く。歩くのが嫌になり、ヒッチハイクをすることに。
通る車に合図をしても相手をされず、必死になって頑張っていました。
すると、1台の工事車両が止まってくれたのですが、車イス等を乗せると重量オーバーになると言われ却下。
ヒッチハイクを諦めひたすら歩く。今日の寝床を見つけてご飯を食べに行く。

そこで疲れからか、イライラも募っていて、みんながこのTRYに対して口論になった。
「なんでTRYに来てるねん」「お金ももらってないのに1週間も休んで」
「俺はただ介助で来てて、しんどいからもう帰ってもええねん」と、ある人は俺に言う。
その言葉にすごく悔しくなり、涙が出そうになりました。
みんなでケンカになり、まとまりを失いかけてるときに
「俺は介助で来てるんやない。お金ももらってない。けど、俺はゴールまで歩くで。
自立を訴える気持ち、住みやすい世の中にする気持ち、
恋をしたり人を好きになる気持ちに障害があろうがなかろうが関係あらへん、
先輩後輩も関係あらへん。国が違うなんて関係あらへん。
俺はみんな一緒やと思ってる」その気持ちをみんなにぶつけ、もう一度、次の日も20キロ歩く。

公民館の前で野宿をし、雨が降っていたのでコンビニのおっちゃんにダンボールをもらい家を作りました。
3時30分ごろまでかかって作ったのですが、風で家が飛ばされてめちゃ寒かった。

そして最終日、ゴール間近、出迎えてくれた、みんながクラッカーを持って待っていてくれてました。
150人の当事者と喜び、泣き、笑い、水かけをし、無事にサバイバルコースをゴール。

銀行の駐車場で寝袋を敷いて寝て、朝、ガードマンに笛を吹かれて起こされたり、いろいろありました。
今、思うことは、次は台湾で予定しているみたいなので、また歩きたい気持ちでいっぱいです。
☆TRY最高☆


自立生活夢宙センター 平下(や)くん
TRYって何?から始まった私のTRYは、まずメインのホームページを見たり、
説明を聞いたりして、歩いて野宿をしながら社会を変える旅って言うことを知りました。
車で一度一人旅をしたくらいの私でしたが、おもしろそうやなと思いました。

そしてトライ実行委員になり、ほぼ毎週火曜日にTRY会議に西宮まで行き、
少しづつTRYっていうものがわかりかけ、
みんなでひとつの目標に向かってTRYという企画を作りあげていくというスタンスが
「なんかすごくいいなぁ」と思いました。

そして、TRYはその期間だけを行けばいいのではなく、
TRYの運営資金は自分達でどうにかするんやと言うことで街頭募金、
オリジナル自作Tシャツ製作・販売、企業周りなどで、みんな分担してがんばりました。
私は他のTシャツ販売等にもがんばりましたが、特に街頭募金では大阪組のリーダーになりがんばりました。

最初は「募金なんて」て思いも多少ありましたが、
でも、みんなで一丸となりTRYを成功させるんやと言う思いや、
アジアの障害者達が地域であたりまえに自分らしく生活できる社会に変える為にも、
やっぱり自分の持っている力の限り、がんばろうと気持ちでがんばりました。

また、この募金、一人だけでがんばるんではなく、
大阪のCILのみんなともがんばろうやって言うことで一丸になれたと思います。
時には募金を休みたいと思ったこともありましたが、
募金をやってて、やりがいがあり、こんなにも人のあたたかさや協力をしてもらったことの
感謝の気持ちや募金の目的だけでもなく、
TRYって言う障害者の自立生活の確立できる社会に変えることを少しでも
大阪市民の人たちに伝えられたなと思いました。

今回はアジアTRYと言うことで、アジア諸国11カ国からの参加があり、
その中には私が勤めている夢宙センターに、
あのお掃除で有名なダスキンがやっている、アジア障害者リーダー育成事業の8期・研修生で、
台湾からマルコさん(女性/障害者)が、日本の障害者運動や自立生活を学びに来ていました。
そのつながりでダスキン研修生8期生とも、研修や遊びを通じて、いい仲間になれました。
TRY募金の期間中にダスキン研修生が日本での研修を終え、
それぞれの国に帰国する日に関空まで見送りに行きました。
その日の夕方に京橋での街頭募金があり、私の声は低く通りにくいですが、
いつもより特に力が入り大声でTRY募金をアピールし、お願いしました。
その日の募金中は研修期間中の楽しかったことや研修生の帰国後のことを思い、
心の中にジーンとするものがあり、うっすら涙がこみあげてきたり、
いつもの何倍もTRY募金をがんばったことを思い出します。

TRY出発、数日前に夢宙センターの朝礼で、夢宙からのTRY参加者が
TRYへの意気込みを話す場がありました。
その場で意気込みを話す時にも涙がこみあげてきました。
理由は?
私は毎年、歴代のアジアのダスキン研修生達と、夢宙の中では一番仲良くなり、
以後もいい関係を続けています。
そして、それぞれの国での研修生の帰国後のことで何も制度等ができていない国や、
自分を押し殺して自分らしい生活もできないことと、
私自身の過去もけっこう、色々なことを我慢してきた生活・人生を思いだし、
研修生と同じやなと思いがありました。

でも研修生は帰国後、精一杯がんばってるし、
今度のアジアTRYはこう言った思いにアジアの障害者がならないように、
社会を変えたるぞと言う意気込みで、私はTRYに参加する決意を語りました。

そして2007アジアTRY in KOREAに出発し、
私はパキスタン人と韓国人と日本人の連川コースで、
次の報告のとおり、2007アジアTRY in KOREAはすごい楽しかったし、
私の人生にとっての宝物のような体験ができ、ほんとに TRY 最高!!でした。


自立生活夢宙センター 陶山くん
今回、2007 ASIA TRY に参加して、いろいろなことを感じました。
今までも、海外に渡り、どんな重度の障害があっても地域で自分らしく、
「夢や希望」をもち、人生を楽しんでいけるように、
応援し仲間と交流をしながら、自分自身もパワーアップしていける活動などがありましたが、
なかなか行動に移すことが出来ないままだったのですが、
今回、TRYの話を聞いたときは、何か分からない気持ちが湧き出て!
「オレも行きたい」と、思い参加することにしました。

仲間と一緒にTRY実行委員会議に参加し、
活動費を集めるための「街頭募金活動」や「企業まわり」をすることで、
気持ちを高めながら、出発が近づくにつれ、「何か分からない気持ち」が何なのかが見えてきました。

それは、一人でも多くの仲間に出会い、一人でも多くの仲間を増やし、
全ての人の違いを認め合う社会につくりかえる活動をしながら、
アジアから…世界中の障害をもつ誰もが「夢や希望」をもち、
社会の中でいきいきと自分らしく生きている仲間を、一人でも多く増やしていきたいと思い、
アジアの仲間との出会いやTRYへの期待など…、
いろいろな思いを抱きながら、出発の日を迎え、応援をしてくれた仲間達に見送られ、
みんなの思いをもち、日本を出発し韓国(ソウル)に渡りました。

今回、私がトライした「仁川コース」は、30人以上の仲間と子ども達も6人ぐらいいて、
とても楽しく元気いっぱいのグループでした。
TRYの初日から、おなかと電動車イスが壊れてしまい、いろいろなことに「トライ」していく旅のスタートでした。
勾配のきつい道、電動車イスを仲間に押してもらいながら、
街を練り歩きながらシュプレヒコール!

「TRY趣旨のビラ配り」「街ゆく人との交流」などなど…たくさんの仲間に支えられながら、
「TRY」だからこそ経験できたこと、感じとれたことがあり、
自分自身が、何をしたいか、どう生きていきたいかということを自分が決め!
志をもち仲間がいれば、どんな状態、状況になっても、
いろいろなことや人生を、楽しみながら「トライ」していけるのだと実感しました。

誰もが障害を理由に、
何一つ諦めることのない「社会づくり」や「人生」を楽しんでいけるよう、
今後、リーダーシップをとり活動していきたいと思いますます。


自立生活夢宙センター 内村さん
3年前、タイの障害者の暮らしを見たとき日本との違いに驚き、とても悔しい気持ちになりました。
今でもその悔しい気持ちが心にあって、
今回のTRYで、みんなで行動を起こし韓国を変えて行くなら私も参加したいと思いました。

TRYに行きたいと思い続けて、でも介助者が足りていない中、言い出せずにいたら、
メインストリーム協会の佐藤さんに背中を押してもらい、
夢宙のみんなにもOKをもらい、TRYに行けることになりました。

TRYの日が近づくにつれ、参加できる喜びと楽しみな期待、
同時に自分にはみんなと一緒になって何ができるのだろうかという不安な気持ちが大きくなっていきました。

8月27日、みんなに見送られ関西空港を出発! 
飛行機の中で隣の席のお姉さんに「サッカーを見に行くんですか?」と聞かれたので、
TRYの説明をしたら湿布を10枚もくれました。
出発して間もなく、出会いというものに少々感動(^^;)TRYへの楽しみが高まりました♪

28日コースに分かれて、冬ソナの舞台?春川コース出発!
メンバーは全体を見ているとのんびり、まったり、癒し系だなと思い、ほんわかした雰囲気ではあるが、
韓国メンバーは話しかけても言葉が通じないとすぐに諦めたり、
障害の部分で無理をして頑張っている姿が見えたり、
両国メンバーとも積極的に動くようには見えず、
私にはみんなが連携をとり盛り上げて伝えて行こう!と本当に思っているのだろうかと一日目は不安になりました。

二日目から春川→ソウルを目指し、歩き始めました!
はじめはみんな声を出す様子ではなく、
薬の副作用もあるのだろうけど寝ていたりする人がいたり、
内々で話しながら歩いている様子でした。ただ歩くのではTRYの意味がないし、
毎日長距離を歩くと疲れて気持ちに余裕もなくなるのでは?と思い、
まとまっていけるように韓国メンバーには「話すことを諦めないで!」と伝え、
「TRY最高!」「頑張ろう!」「大丈夫?」と何度も声かけをして歩きました。

次第にみんなの声は上がってきて、メンバー同士話す姿が見られるようになりました。
TRY中に誕生日の人が二人いたので誕生日会をしました。
みんなでハッピバースデイを歌い、一つのケーキを少しずつ分けて、
お酒も飲んで楽しく過ごし、この誕生日会でうんと仲良くなったような気がします。

みんなが仲良くなってまとまってきた4日目、
TRYを伝えるため、メンバーの個々のパワーアップのため、
春川コースプチイベントとして5つのグループに分かれてホームステイをしました。

グループ分けは当事者も介助者もくじ引きで決めました。
そのときに「このグループだとホームステイに行きたくない」という当事者が出てきて、
介助者からも「当事者について頑張っていこうと思っているけど、
当事者がこんなんじゃついていけない」という人が出てきました。
当事者に何のためにTRYに参加したのか、
TRYに参加した障害者は社会を変える者となっていかないといけないことを伝え、ホームステイへ・・・。

このグループは夜の12時近くまで泊めてくれる所を探したけどみつからず、
サウナに泊まる事になったのですが、
介助者から「ホームステイは出来なかったけど、
当事者の頑張りが伝わり、TRYに参加して本当に良かったと思えた」と翌日言ってくれました。

5グループのうち、3グループがホームステイをし、TRYを伝え、
韓国家庭の温もりに触れ、感動しました。
1グループはサウナ、もう1グループは体調が悪い人がいてたので福祉会館に戻り、泊まりました。

春川コースみんなで過ごす最後の夜、
これまた飲んでワイワイとしたのだけど、3つ決めることがあり、みんなで話し合いました。
一つ目はムードメーカー賞とVIPを決めること。
TRYはみんなで頑張ってきたもだから誰が一番とかでないことをみんなで確認し、賞は決めないことにしました。

二つ目はゴールの時間に間に合わないからと電車に乗る話でした。
こんな理由で電車に乗るとTRYの意味が違ってくること、
日本メンバーの思いを韓国メンバーに伝え、早く起きて歩くことになったのですが、
日本メンバーの意見は通訳をして韓国メンバーに伝えられたけど、
韓国メンバーの意見が通訳されないまま決まり、
もっと意見交換して決めれなかったことに悔しさを感じました。

三つ目は、一人ひとりに寄書きをしよう!ということでみんな賛成。
朝方までかかって書きました。

寝ないで最終日を迎え、後ろからみんなのことを見ていたら、
一人ひとりの変わった姿がよくわかりました。
いつの間にかみんな声をあげて町行く人に手を振って歩いていて、
寝ていた人も寝ずに声をあげるようになっていたし、
韓国メンバーとも諦めることなく冗談が言えるほど話せる仲になりました。
介助者も身内のそばにいたのが立ち代り入れ替わって介助をしていました。
まったり癒し系のまま仲のいい、まとまりのある春川コースメンバーとなりました。

自分たちの思いを社会に伝えることは、あまり出来ていなかったと思うけど、
仲間意識はみんなで作っていけたと思います。
このTRYでほんとにいい経験が出来ました。
新たな出会いがあって、日々過ごす中で仲が深まって行き、
コミュニケーションの大切さを確認しました。

ホームステイ時のことで、障害当事者が自分の力を出し周りに伝えて行く、
見せて行くことの大切さを感じました。
自分自身の色んな面での力の強弱も見ることが出来、
これからの自分を考える機会を与えてもらえたと思います。
色々感じることが出来たのは仲間がいたからです。感謝です☆☆☆

だから、
これからのTRYにも毎回参加したいという思いはあるけど、
私が思ったようにTRYを経験し感じ、
社会を変えていく仲間が増えればと思うので、
TRYの大切さや良さを伝える立場になり伝えていきたいと思います。
TRYお疲れさまでした。


自立生活夢宙センター 神田さん
アジアTRYに参加して、普段の生活ではできないたくさんの経験をし様々なことを感じることができた。
そして私はその中でも最終日前日の夜の会議が印象に残っている。

最終日前日の夜、打ち上げも終わり少し遅い時間に、春川コースの会議が行われた。
会議の主な内容は二つあった。
一つは、TRY中のMVPを決めることで、
もう一つは次の日のソウルまでの行き方についてであった。
次の日のソウルまでの行き方というのは、
その日に宿泊した地点から集合場所のソウルまでは、かなり距離があるために、
歩きではなく電車に乗って、ソウルまで行くという提案であった。

内容について韓国側から説明があり、MVPを決めて、
次の日のソウルへは電車で行くというのが、韓国側の意見であった。

それに対して日本側から、
MVPは全員が頑張ったTRYで一人だけMVPを決めるというのはおかしいのではないか、
という意見が出た。
また次の日のソウルまでの行き方については、
ここまで歩いてきたのだから、電車を使わないで歩いてソウルまで行きたい、という意見が出た。

春川チームは、穏やかな雰囲気のチームで、
この時までに韓国側と日本側で意見が対立することはなかった。
TRYの中で始めての険悪な雰囲気になった。
結局、最終的に日本側の意見がとおり、MVPを決めないことと、ソウルへは歩いて行くことが決まった。

私はこの会議での話し合いを、とても残念に思った。
それは韓国側と日本側の意見が対立したことに対して残念に思ったのではない。
何を残念に思ったのかというと、
この会議では、
お互いに、伝えようとする姿勢、理解しようとする姿勢が足りなかったことが残念だった。

会議は、少し日本語を話すことが出来る韓国の人が通訳をした。
しかし、残念なことに全員の話し合いにはならず、
韓国側と通訳の人、日本側と通訳の人という形で話し合いが進んでいったように感じた。

会議で決まったことも、全員で話し合って決めたというよりも、
その場の雰囲気でそうなったという印象を受けた。
その通訳の人が、一人一人が話したことを通訳していくというには至らない部分もあったとは思うが、
それ以前に、
お互いに、伝えようとする姿勢、理解しようとする姿勢が足りなかったのではないかと思う。

会議中何度も、「話を聞いて欲しい」、「私達に向かって話して欲しい」と感じた。
自分達の話している言葉が少々理解されなくても、
相手の話している言葉が少々理解できなくてもよかった。
ただ、自分達が話をしている時には、じっくりと話を聞いて、理解をしようと努力して欲しかった。

韓国側が話をする時には、ちゃんと私達に向かって話しかけて欲しかった。
そうなっていない状況での会議は、本当に悔しかった。
ただ、私自身もそれが出来ていたかと言われたら、
自信がないというのが正直なところだと思う。

韓国の人達にも、同じような思いをさせてしまっていたかもしれない。
春川チームは、韓国語と日本語が両方堪能で上手く通訳ができるという人はいなかった。
初めはそれが不安であったが、
表情やボディーランゲージ、辞書、つたない英語など、あらゆる方法を使い、
お互いに伝えよう、理解しようと諦めずに話せば、想いは伝えることができるのだと分かった。
TRY中、それがとても嬉しく、皆と話すことがとても楽しかった。
そのことをTRYで学んだだけに、この最終日前日の会議は、とても悔しかった。

しかし、今ではこの経験もTRYで学んだ大切なことではないかと思う。
私は、まだこの仕事を始めたばかりなので、迷うこともあるし、
自分の想いを相手に伝えることが下手だ。
その分だけ、伝えようとする姿勢、理解しようとする姿勢を持っていようと思った。
それだけではもちろん足りないが、まずはその姿勢をもつところから始めたい。

TRYの中で印象に残った一場面を中心に感想を書いたが、
他にも書ききれないほど、感動することや面白いことなど、さまざまなことがあった。
TRYには、是非これからもたくさんの人に行って欲しいと思う。


自立生活夢宙センター 白井くん
8月28日〜9月4日、韓国で障害者の地域での自立生活を訴える運動に参加した。
7日間、現地のいろいろな場所に障害者と一緒に行き自立生活を訴えた。

韓国の街は、まだまだ段差が多く、
障害者が街に出て、行きたい所にスムーズに行くことが困難だ。
地下鉄にエレベーターのないところも多い。

自分は仁川コース。各コースの中で一番、人数の多いコースで陶山さんと一緒だった。
宿泊した所は、精神障害者の施設、肢体不自由児の施設などが多かった。

まだまだ韓国は、障害者=施設という一昔前の日本のような状況だ。
これから韓国の障害者の人達は、このような状況を変えていくように運動していくのだろう。

人々の差別や偏見をなくしていくには、今の状況では少し時間がかかるように思う。
色々、困難が多いと思うけど頑張ってほしい。

このような状況の中、今回のトライに参加した韓国の障害当事者も多かった。
自分も、韓国当事者の食事介助をさせてもらった。
日本以上に障害者のおかれた状況が厳しい中、
それでも地域で生活しようとする韓国当事者に感心させられる。

アジアトライに参加して色々刺激をもらった。
自分をトライに誘ってくれた、夢宙スタッフのみなさんに感謝したい。
これからも、障害当事者の自立生活を応援していきますので、よろしくお願いします。


池田くん
8月27日韓国へ出発、
「障害者のイメージ変えてやる」という熱い思いを胸に韓国へ向かった。

28日の開会式は、韓国、日本、パキスタン、他アジア諸国総勢200名で行われた。
幹事の号令と共にそれぞれ8コースに分かれ、各コース約100キロ離れたところからソウルに向かった。

私は連川というところからソウルに向かうことになった。
その日は運河にたどり着くまで交通手段を使った。
約2時間電車に乗っただけでもう夜に。その日はご飯を食べて就寝。
寝床はスタジアムの下に野宿した。
寝袋をひいて寝る。私にとって初めての体験だったが疲れていたせいか意外によく寝れた。

次の日、7時に起床、
朝からチゲと韓国のりを食べての出発となった。
障害者、健全者問わず「どんな重い障害があっても地域で暮らしていけるという熱い思いを胸に・・・。」

1日目から23キロ、その日の天候はあまり芳しくなく、途中から雨が降り出した。
みんなが疲れて、しんどくなっていたが、
パキスタン人の「アリリリルリラ」の声援と共に一気にテンションが高まる。

そしてバリアフルな店でチゲを食べる。
日本ならバリアフリーな店を選んで入ることが出来るが、TRY中、そうはいかない。
車イスを3人ぐらいで持ち上げて中に入る。
店の人は結構温かく迎えてくれたような気がする。
ただ障害者自体あまり認知されていない国のため、バリアフルな所は多い。

その日は施設で泊まる。やっとシャワーが浴びれると思いきや、水しかでない。
明くる日も同じような行動。

次の日の夕食は豚肉の焼肉、薬味やトウバンジャンと一緒にレタスで挟んで食べる。
「こりゃ、うまい!」思わず叫んでしまった。
辛いものが多すぎて、舌が麻痺していたせいか、
その日の夕食は最高においしく思えた。

その日は教会にて就寝。
韓国はクリスチャンが90%ぐらいいて、多くの教会が健在している。
夜景を眺めたら教会のネオンで綺麗だった。

翌日の道中、韓国の障害者施設を見学した。
施設でビデオを見せてもらって、いい内容に構成されていたように思う。
だがやはり障害者の地域移行の重要性を改めて実感した。

その日は障害者の社会福祉センターに泊まったのだが、
そこでやっと温水シャワーに恵まれた。気持ちよかった。
そしてセンターのみなさんは本当に暖かく出迎えてくれた。

日本やアジア諸国の人々が韓国に応援しに来てくれているということが嬉しかったのだろう。
朝、センターのスタッフと集合写真を撮った後、ひたすらソウルに向かって歩いた。

最後の夜は、打ち上げみたいな形でみんなが一斉に盛り上がった。
翌朝ゴールを目指して歩く、終盤になるにつれ歓喜が沸きあがった。

そしてゴールの瞬間、めったに涙をみせない私だが、
この時は不覚にも男泣きをしてしまった。 

実は、私は長い間、健全者と共に普通学校にいき、
大学にも入り、自分は障害者と思うことなく生活を送ってきた。

それは凄いことだと自分で思ってきたし、自信もあった。
思えば12年前、ボランティアに興味をもちいつのまにか介護の仕事を携わるようになり、
自分は障害者であるということを知るのである。

ある重度障害者にリハビリを強要したことも覚えているし、
当センターに来た時に「介護スタッフとして働かせて下さい」と言ったことも忘れてはない。

それは自分自身他の障害者とは違うというプライドがあったような気がする。
TRY中、いろんな障害者スタッフ又健全者と向き合った。
仕事に関してのことや障害者問題のことや障害受容のこと。

ゴールの時、
今まで持ってきた自分のプライドが恥ずかしく思えた。
障害者運動や当事者主体というのは、よくわからないと思う人も多くいると思う。
私達は障害者のイメージを変えていくために仕事をしている。
もっと自分の仕事に当事者として誇りを持たなければならないと思った。

「障害者のイメージを変えていく」と熱い思いでいったが、
一番変わらなければならなかったのは自分自身なのである。


黒岡くん
僕は、8月27日から9月2日にかけて行われたトライに参加しました。
トライは、僕たち障がい者が車イスで、いろんな所へ歩き続けて、様々なバリアフリーを訴えてる組織です。

最近は、アジアへ活動の視野を向けて行うようになり、韓国でのトライは2002年に続き2回目だそうだ。

僕自身はトライの参加は初めてだったので、楽しみ半分・不安が半分でした。
最初と2日目は、韓国トライに参加したアジア各国の人たちと行動し、
2日目の途中から10班に分かれ、僕たちは、スタート地点のヤンピョンに行きました。

僕が参加した班は、13人と少なくゴールまでの距離も短い方でしたが、
その分、みんな交流は出来たと思いますが僕自身、もともと人見知りをする上、
男女問わず2人きりで喋るのが苦手の方でした。
僕なりに、みんなと交流しようと頑張りましたが、言葉の壁に落ち込んだりもしました。

でも韓国の人は、みんな明るい人たちだったので良かったです。
今回、韓国の街を歩きましたが、コンビニや他の店、
交通機関とその他の様々のバリアフリーは、まだまだ利用し難い所が目立ちましたが、
日本より改善出来てるところもあり、韓国の障がい者の仲間も頑張ってるだなぁと思いました。

ゴールをした時には、ホ〜としたのと、
もう少し続けたい気持ちが混じっていました。

とにかく、いろんな事がありましたが、良い経験が出来て良かったと思います。
この経験を日頃の自分の活動に活かして行こうと思っています。


桐間くん
06年の4月から障害者運動に関わって初めての大イベント!!

社会を変えるため!!
アジアの福祉を変えるため!!
アジア各国の当事者!!
サポートする健常者!!
宗教、国境なんか関係ない、一つの目的に向かう!!
社会を変えるために!!
8月27日〜9月3日、野宿をしながら100キロを歩いた!

27日待ちに待った開会式、
100人以上の人達が1つの目的に向かってソウルまでの道のりを歩き始めた!
野宿しながら。。。

でも、なんか違うぞ(笑)宿泊場所、決まってたんかいな(笑)
グループの中でMVPを決める!?
など日本と韓国 のトライに対する方向性というか、温度差というか。
求めている物の違いというのが2日、3日、日が経つにつれて実感してきた。

そして!あっという間に最終日前日のミーティング!
韓国側実行委員から
「明日は集合時間に間に合うよう電車に乗りましょう!」
ていう提案があったのに対して

日本側実行委員から
「そんなん朝早く出たらいいやん!」て。

僕、個人的にも、その辺からなんかムズムズしとったんですよ、
そいで、次の話が「チームの中で誰が1番頑張ったかMVPを決めましょう!」ってことになった。
僕、なんか、その話題で僕の中の熱いモノが大爆発!

「誰が一番とか関係ないやろ!」て。

この時の僕、今まで22年間の人生で1番といっていいぐらいに熱くなってて
「僕らは社会を変えるために!社会に障害者の人権をアピールするために歩いてるんや!
誰が1番なんて関係ない!それはみんな一緒やろ!」
などそのミーティングはこの1週間日本側、韓国側のため込んだ意見が爆発したかのように、
ミーティングは明け方までエキサイティングした!
その結果、人それぞれTRYに対する方向性は違うかっても、社会を変えるとう方向性、
根本が一緒だったらいいという事を確認しあった!

そして最終日、僕達はソウルに向かって歩き始めた! 一つの目的に向けて。

それは社会を変えること。

残り5キロ! 初めてこの一週間の間で初めて一丸になって歩いてる気がした!

そして、ついにソウル!
1週間という短い間!
初めて見ず知らずの出会った事の無い人と一つの目的に向かって一丸となる!
人間って本当に良いもんですね!

でも、できれば半年ぐらいトライしたかったかな(笑)
 
A関東組・沖縄組メンバーの感想

平井くん
韓国TRYに行く前は、正直非常に不安だった。
しかし、終わってみると、非常に有意義なTRYになったと思う。

私が学んだことのひとつは大久保さん、広内さん、大友さん以外の障害者の介助をしたことである。
TRYでは、日本人の車イスの障害者3名と韓国人の車イスの障害者2名の介助をしたが、
トイレの仕方など全員それぞれ排泄の方法が違っていて、改めて勉強になった。

例えば、しびんを手に渡せば自力で出来る人もいたし、
しびんを股に挟んで固定しながらやる人もいた。
また、韓国の方は体が小さかったので私が両腕で抱えながら、
車イスから便座まで移動させたりもした。

もうひとつ、韓国TRYで学んだことは、
良き日本人介助者、山根さんと広岡さんとの出会いである。

東大阪の山根からはコミュニケーションには笑いが必要ということを学んだ。
また日本の笑いは韓国に通じることもわかった。
彼は大いに私たちを盛り上げてくれたし、笑わせてくれた。

東京の広岡さんには、まだ大学生であるが何事も率先して行動していた。
曜意味で遠慮のない人でだった。
障害者の清水さんが寝ているときや、トイレなどへの移乗のときは私に協力を求め無難にこなしていた。
彼は英語が堪能で、韓国メンバーと上手に会話をこなしていた。

TRYでは韓国人との交流も楽しかったので、
私たちと同行した韓国人の名前と特徴を紹介する。
ヘーヤン(女性)、ウーナ(女性)、チェ、チョ、キム@、キムA、ジ(女性)の7人である。
障害者はチェさん、チョさん、キムAさん、ジさんの4人であった。
来日したこともあるヘーヤンが我々の通訳係をしてくれた。親切で優しかった。
大学卒業後ケースワーカーになるのだという。

ウーナは、天真らんまんで明るく、将来は幼稚園の先生になるという。
日本の山根さんとのやりとりは楽しく、絶妙なコンビだった。

チョさんは40くらいで体は小さい。ジェスチャーでの身体表現が上手で、
身振り手振りで私たちに自分の意図を伝えていた。
聞くと俳優をされているのだという。コミュニケーションをとるのが上手な人であった。

チョさんは、閉会式であいさつを務めたほどの人。
聞くと私より1つ年上だという。彼は私たちに日本語でよく声をかけてくれた。

キム@さんは、6日間通して大学生運転手。
韓国の盛り上げ訳で、英語で時々、アイムソーリーと謝る姿がかわいかった。
私に一生懸命お酒をすすめてくれ、マッコリを一気飲みしたことは良い思い出である。
携帯で家族の写真を見せてくれた。心優しい暖かな青年であった。

キムAさんは、最年長でCIL関係の人。
急な坂道を介助も借りずに、自分の腕で押していた凄い人。
コーヒーをいただいた事と、
坂道で彼の車イスを押しながらコミュニケーションをとれたことは良い思い出になった。

ジさんは、唯一女性の障害者。
私たちとコミュニケーションをとることは少なかったが、なんか心が通じ合った気がします。

次に、韓国の鉄道・地下鉄・トイレなどのバリアフリーについて述べる。
初日に出発地点の揚平まで、地下鉄を使って移動した。
乗り換えの駅ではまだエレベーターが無く、高次設置中であった。
列車の乗り口は、ホームよりかなり高い位置にあった。
階段の部分からスロープが手動でくるタイプのものであった。
そのスロープの角度が急であったうえ、スロープの上を車イスが移動すると、
かなりたるんで強度は弱い印象を受けた。
地下鉄はホームドアが設置されていた。
ホームと列車の間に、大きな隙間がなかったので、スムーズに地下鉄に乗ることが出来た。

私たちが移動中、立ち寄ったトイレ(小さな商店や食堂など)は、
入り口が狭かったり、便器のフタがすぐはずれてしまうような物だったり、
便器自体が体重の重さで浮いてしまったりと、障害者にとって大変使いにくいものになっていた。

韓国TRYの事を思うがままに書いてみます。
森さんから「平井さん、TRY絶対良いよ」と言われ、
心を動かされたことに始まる今回の韓国TRY挑戦。

正直、TRY本番まで参加するのが不安でした。
一番不安だったのは、初日の宿泊場所まで、
なんと田中君とさやかちゃんが無事到着出来るかと言うこと。
でも、この不安は解消されました。

俺が、韓国の空港到着ロビーに着いたとき、
メインストリームのぎしこさんが待っててくれていたからです。
先に着いていた沖縄組の方たちと一緒に宿泊地まで纏まってバスで移動するという話を聞いてほっとしました。

TRYの歩いた距離(1日)は、正直短かったです。
自分で歩いた感覚なんですが、一番長い日で、1日10キロ、
一番短い日で1日5キロくらいの距離を歩きました。
1日10キロ歩いたときは、坂道も多く日も照っていて、
「ああ、TRYやってるな、これがほんとのTRYだな。」って思いながら歩いていました。
韓国の街は、日本と変わりない、同じだなという印象を受けました。

都市郊外では、田んぼがあってビニールハウスがあってという感じで、
あまり外国に来たなという感じではありませんでした。

TRYの途中、観光地にも寄りました。若いカップルが数多くいました。
観光地に入ると、街並みがそれまでとは雰囲気が変わったのですぐわかりました。

途中、同行したヘーヤンという女子学生と話しをしながら歩きました。
彼女は福岡にも旅行したことがあって、いくらか日本語を話すことが出来ました。
全く初めて会う外国人と極わずかな時間で、
お互い理解を深めることができるのだという、良い経験が出来ました。

野宿もするかもしれないということだったのですが、
今回野宿はありませんでした。全て屋根付きの建物の中で寝ることができました。
街の体育館、市役所に隣接する建物、教会隣の部屋、障害者施設の中を借りました。
6日間の行程中2回浴びることが出来ました。洗濯は2カ所で出来ました。

今回は、6日間の行程中、3日雨にたたられました。
初日雨だったのですが、
出発時は降っておらず大丈夫だろうと油断していたら、
途中から雨が降り出し雨カッパを車の中に置いてきてしまった私は、
ずぶ濡れになりながら車イスを押しました。
ちょっとしたした失敗でした。

日本から行った障害者の方は3人でした。小坪さんと谷さんと清水さん。3人ともよい人でした。
ちょっと真面目だけど、大阪人のノリで笑顔が素敵な谷さん。
最年少、鉄道に乗るのが大好きなナイスガイ、東京の清水さん。

3人とそれぞれ話しをしましたが、みんな気さくで楽しい話しが出来ました。
最終日の合コン(ねるとん)は、一部が盛り上がってという感じでした。
閉会式終了後にビールかけならぬ、ペットボトル水掛けが始まったのですが、
寒いし水も無駄になると思ったので、これは余計だなと思いました。

今回トライで、私が一番学んだことは「ふれあい」です。
全く始めて会う障害者の方とのふれあい、
全く初めて会う韓国の人とのふれあい。
片言の言葉でも思いがあれば全く見ず知らずの人でも通じ合うことができるという、
貴重な経験をすることができました。

田中君、さやかちゃん、森さん、横山さん、広内さん沢井さん、大友さんはじめ、
今回韓国TRYに関わった全ての方々に、
ありがとうございますの気持ちでいっぱいです。
良い経験ができました。本当にありがとうございました。


永村くん
以前から友人よりTRYについて話を聞いてきたこともあり、
今回のTRYの企画が持ち上がったときに参加したいとすぐに思いました。
しかし職場の勤務体制もあり、
なかなか参加を決断する(許可をもらう)までに時間がかかりました。

参加が決まり、打ち合わせに参加する中で、
自分がCILや自立運動に対する無知さを痛感しながらも、
TRYというイベントが障害者も健常者も一参加者であることや、
アジア地域での障害者の福祉向上(自立生活)を訴えるなどの趣旨が
自分のTRYへの参加意欲となりました。

今回は1週間ということもあり、
社会人である自分も休みを使って参加できたりと、
参加するためのハードルが低かったために、
参加人数も膨らんだのではないかと思います。

しかし、そのため参加者の中には観光気分の人、
本来の趣旨である自立生活を真剣に考えている人…と参加意識に落差を感じました。

実際に私自身が一参加者としての意識があり、
ただ単純に介助者としての立場でないという意識がありましたが、
おのずと障害者とその介助者という立場であるとの見られ方をされる状況に、
本来の参加趣旨とTRYの意義と実際の現実のギャップに悩み考えさせられる日々でした。

今回、私自身が勉強不足(CILや自立運動)であった点もありながら参加できたのは、
企画段階から参加するためのレベルを下げていただいたからかな?と思います。
しかし、今回のTRYに参加して、
やはり参加意識の高いレベルでの統一(及び向上)を図らなければ、
本来のTRYの意義が薄れてしまうのかな?と感じました。

また逆に、今回のように広く参加者を募る企画とするならば、
障害者と慣れた専属介助者での参加も広範囲で認めることで
参加者(障害者と介助者)を募るという初期段階で
参加ハードルをもう一段下げるのもありかな?と思われました。
どのレベルでの統一にしろ、
参加意識の統一は企画段階からの必須事項ではないかと感じました。

今回TRYに参加できたことは貴重な体験となりました。
イベントのすべての協力者に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。


海老原さん
「日韓TRY2001」同窓会企画から発展した今回の2007 ASIA TRY in KOREA。
結局規模はアジア各国にまで広がった大規模なイベント事業として動き出しました。

今回、東京メンバー26名のうち、
私を含め2人以外は全員TRY初経験でした。

まずは、その全員が無事に帰国できたことにほっとしています。
気管切開している人やマスク式呼吸機使用者が、
海外でソフト野宿する前例は、まずなかったでしょう。
他にも、初海外だった人もたくさんいて、みんな、文字通り、
このTRYにTRYしたことに対して、拍手を送りたいと思います。

代表という立場でありながらも、
みんなが一丸となって取り組まなければTRYは成功しない訳で、
どうやって全員で足並みを揃え、ペースを作っていくか、
ということに随分頭を悩ませました。。

「資金を作りつつ、TRYを周囲の人に認知してもらうため、
そして、自分の中でモチベーションをあげながらTRY参加への意味を
自分の言葉で伝えていけるようになるために、
TRYTシャツをひとり50枚、買い取って売りましょう。」と言った時のメンバーからの大反発。

企業まわりをしても、
TRYの業績や効果というものが形に残っていない、ということでなかなか賛同を得られない現実。
国や地域を越えた打ち合わせの際の、価値観の違いで些細なことでもめる時間。

しかし、私が今回のTRYで一番考えさせられたのは「介助者」という存在でした。
今までのTRYは、とにかくみんなで助け合う、がポリシー。

誰もが地域の中で地域の人たちとふれあいながら生活できる環境作りを訴えよう、
そのためにはまず、
TRYメンバーの中でお互いを良く知り合おう、という理念があるわけです。

自分専属の介助者にばかり介助をお願いしていたら、
周囲の人に本当に自分の障害を含めた生活を分かってもらえるのか??ということです。

だから、「不安だから慣れた人に“介助者”としてTRYに参加してもらおう」とか
「介助に慣れた人を同じコースに」という考えには到底賛成できませんでした。

でも、「それはダメです。」と言い切ってしまったら
「TRYには参加できません」という人が続出しそうでした。

きっと20年前からTRYをやってきた元祖メンバーの方達に言わせれば、
「そんな程度の気持ちの人には参加してもらわなくていい」と言われるかもしれません。

でも、私は、最初の条件で参加できる人を限ってしまうのではなく、
まずはいろんな人に経験してほしかった。

一度経験さえすれば絶対みんなTRYの意義を分かってくれるはず!と信じていたし、
そういうTRYにしたい!と思っていたからです。

今回は先述の通り、
かなり重度の障害の人もいて、他人がいきなり介助してぴったりうまくいくのはかなり難しく、
誰もが介助できるか、と言うと限界があった。
かと言って「じゃ、誰とでもやっていける人しかTRYに参加できないのか」と言ったら、
そんなはずはない訳で。
どうしても最低限の「介助者」は必要でした。

でも…
「介助」をするために一緒に韓国に行く人が、
私たちの過酷なTRYについてこられるのか。一緒に盛り上がれるのか。
私たちはその「介助者」とどう関わればいいのか。
一緒に歩く人にはみんな、
ある程度TRYへのモチベーションを高めて楽しみながら参加してほしいけど、
「介助者」にそれを求めるのはいけないのか。…と、私の中での不安は尽きませんでした。

障害者は、
「介助という労働」に対する対価を支払うことで
「介助者」とある程度対等な立場を確立しました。

でも、TRYは真逆。敢えて無償。
なのに、普段より強く感じる連帯感と対等感。なぜでしょう。

2回のTRYを通じで感じたのは、
無償の方が、本気で言いたいことを言い合えるのではないかということです。

お金を介していると、どこかで「障害者に雇われてる」感が存在し、
言いたいことを飲み込んでしまうことがあります。

しかし、無償で付き合うときは、
例えば疲れきっているところに何か頼まれれば「今疲れてるから動きたくない」と言えたり、
障害者に依存されそうな時に「たまには他の人に声かけてよ」と思い切って突き放したりできます。

障害者メンバーだって、
手のあいている人/体力に余裕のある人を探したり、
タイミングを見計らったり、
どうしても疲れきっている人にお願いしないといけない時には少しでも気を遣いながら、
必要最低限の介助を考えたりと、
それなりに、メンバー達とうまい関係を継続させるために頭と心を遣います。

さらには、自分には何ができるんだろう、と自分なりの役割を考えたりし始める。
そして全部が自己責任。
それって、ある意味「対等」ではないでしょうか。

「介助者」「利用者」として対等なのではなく、
「人」として対等だと思うのです。

そしてそういう状況は、
ヘルパー制度がある程度確立してしまった今、なかなか経験できません。

その貴重な場に「介助者」を入れていくということに対する不安。
理想と現実の狭間でぐるぐると頭をめぐる葛藤。

恐らく、TRYを一度でも経験していたからこそ感じた、
そんな諸々の葛藤にずっと押しつぶされそうな半年間でした。

しかし、実際は、そんなに懸念するほどのことでもありませんでした。
専従介助者という立場での参加者も、同じように盛り上がってくれて、
コースメンバーにとってはかけがえのない存在でした。

中にはTRYがどういうイベントなのか、
ようやく理解できたのはゴール前日という人もいましたが、
終わってしまう前にTRYを理解してくれたことが私にとっては、とても嬉しかった…。

一方で、障害者メンバーの中には、
普段の「介助者」を使う感覚を拭いきれなかった人も多かったようです。
自分から積極的に動いていかない。
慣れた人にしか介助を頼まない。他の人を知ろう、という意識が低い…。

…そういう意味でも、
やっぱり1週間のTRYでは限界があるんだなぁ、と感じました。

社会が変われば変わるほど、
TRYの理念を貫いていくことが難しくなっていくのかもしれません。
「介助者」という立場が悪いものだとは思いません。

障害を持っている人が安定した生活を送るためには絶対に必要なシステムです。
しかし最近は単に制度上、便宜的に割り振られた「介助者」「利用者」という立場が、
本来の「人」としての役割・生き甲斐を見失わせている気がしてならないのです。

「すべての人が “自分の役割” を担える社会にしたい!」
健常でも障害があっても、お互いにその気持ちがあって初めて、その上にひとつの役割として
「介助」が成り立つのだと思うのです。
その根底にある気持ちだけは、絶対に変えてはいけないと思うのです。
そして、それを伝え続け、再確認できるもっとも効果のある方法がTRYだと、信じています。
TRYさいこ〜!


栗田さん
普段、グループホームの職員をしている私は、
車イスを必要とする人たちと関わる機会はなかったが、今回トライに参加することで、
車イスで生活する方たちと生活を少し共有することができた。

一日目のコースは自分が歩くことで精一杯だった。
日ごろの運動不足がたたって、
足腰の重さに加えて、頭痛、肩こりを感じこのままでゴールにたどり着けるのだろうかと思った。
当然、他のメンバーが疲れたときなどに車イスを押すことを代わろうという余裕はなかったし、
私には車イスの押し方も分からなかった。

二日三日と経つうちに体もなれて行き、
足腰の痛みがなくなって歩くことにほとんど疲れを感じなくなった。
そしてメンバーと歩きながら話をし、お互いのことが分かるようになってくると、
自分から車イスを押すことを申し出たり、
相手から介助を頼まれるようになってきた。そして実際に介助をすることで、
介助とは予想以上に体力を使うことだと分かった。

また、なれない私の介助にも、どなたも丁寧に手順を教えてくれ、
介助される側の方の気遣いに恐縮した。

同時に、はっきりと「どうしたいから、こうしてほしい」という指示があることに驚いた。
そしてそれは、自分から何かあれば言ってくれるという安心感でもあった。

そして、自分のペースを考えながらも、
自発的に今すべきことが少し見え始めたころ、トライの半ばをすぎていた。

そして最終日はすぐにやってきた。
6日間歩き続けて、とても大きな感動があった。
頭で考えることよりも、体で学ぶことが多く、あまり言葉にはしにくいのだけれど、
自分でも忘れかけていた、具体的な目標に向かって熱くなって頑張ること、
仲間と協力すること、助けてもらうことを毎日体験した。

そこには、「障碍」も「健常」もなかった。
けれど車イスでの生活には、日常的に障碍が常にあることが一緒にすごしているとわかった。

雨で天気が優れなかったときのこと。
自分の足で歩く私にとっては、
小雨で涼しいくらいが都合が良く快調に歩くことができたが、
車イスの人たちは、「寒い」と震え、電動車椅子は濡れて動かなくなった。
少し考えれば想像がついたことだったが、私には目の前に起こるまで分からないことだった。

自分の考え方や体験の偏りや、現実や理想を見直す瞬間がたくさんあり、
そのたびに「障碍」と「健常」の考え方も揺らいだ。
その揺らぎは、今も揺らいだままだ。

けれど、体験として今までと違う「障碍」という考え方が残った。
それはいつか優しさや思いやりなどを考える前に、
当たり前の隣人への配慮の一つとして、自分の行動にあらわれたらと良いと思う。


小田くん
「人工呼吸器を付けて、野宿したら面白いと思って。」と言った人がいました。
この言葉を言ったのは、自立生活センター・東大和の海老原さん。

2007年の初めに開かれた研修会の中で、
僕と同じグループだった海老原さんの言葉に、おもいっきり共感してしまいました。

人工呼吸器を付けても地域で暮らしていける事を
広めていきたいと思っていた僕は、野宿まで出来たら、
社会に対して、すごいアピールになると、そう思いました。

研修会中の休憩時間の時に、海老原さんを探して、詳しい内容を聞いてみました。
そのようなイベントがあること、まだ詳しい内容が決まっていないこと、などなど。
ただ、韓国で行われる事は、聞きのがしていました。

数ヵ月後に、イベントの内容や開催国が韓国であることを知ることになります。
このことを知った時は、正直言って、かなり不安にもなりました。
ただ、その気持ちよりも、このイベントに参加してみたいと思う気持ちが増しました。

この時から、僕のトライは始まります。
まず、野宿に対して必要なことを考えて、
今まで、やった事の無いことを自宅で試してみました。
海外へ行くことも初めて。
活動資金集めの為に、募金活動や企業巡りも初めて。

初めてな事ばかりのトライ2007への参加。
まわりの反応も、賛成する人、反対する人、いろいろいました。

それでも、自分の気持ちは決まっていました。
ただ、無謀なことをしているわけではなく、起こりうるトラブルは想像して、
回避策は考えて、リスク管理はしたつもりです。
忘れ物も命取りに繋がるので、慎重に荷物チェックをしました。
この他にも、いろいろな経緯を経て、トライ2007が始まりました。

それでも、アクシデントは起こります。
韓国で電源をとるためのコンセントの変換プラグ。
日本で買っていった変換プラグが、
韓国でも使えると書いているのにも関わらず、壁に差し込めなかったこと。

一緒に行った介助者から携帯電話充電用に持ってきた変換プラグを借りて、
人工呼吸器のバッテリーを充電しました。

その他にもいろいろなアクシデントが有りながらも、工夫したり、
助けてもらったりして、完走することが、出来ました。
完走したことで、自分に新たな大きな自信が出来ました。
これだけではなく、仲間と一緒に、最後まで行動できたこと。
いろいろな人と出会えたこと。などなど。

気管切開をして、24時間、人工呼吸器を使用している僕でも、
トライ2007に参加できたこと、本当に、本当に、良かったです。

今回の経験も、今後の活動に活かしていきたいと思っています。
まだまだ、報告したりないので、
自分が所属している、自立生活センター・北のホームページに掲載していくつもりです。
最後に、トライ2007に関係した人々に感謝します。ありがとう。


小島くん
二年近く前に車イス業者で出会ったえびちゃんこと海老原さん。
当時は海外に強い関心があり、ただ在宅での生活基盤さえ整っていなかった自分にとって、
えびちゃんから直接耳にした前回のトライ体験、その後の自立への話は衝撃であり笑撃でありました。

トライの醍醐味をいつか体感するんだと意気込んでいた矢先、
思ったより早くそのチャンスは巡ってきました。

自立を訴え日によっては雨降りしきるなかで歩き通し、
床にマットを敷いての寝泊まりは思った以上の疲労がありました。
それゆえ、道中仲間とのコミュニケーションがうまくいかないと感じた場面もありました。
が、つらいばかりでなく、
宿泊地に着いてから仲間と食べに出た店での食事は格別でした。
マッコリ飲んで疲れさえも心地良いものに。
暗い中歩き続け、大人数で押しかけた焼き肉屋の豚カルビや、
他チームと合流し感動の中食べたプルコギ。どれもすばらしいものでした☆
と、食べ物話も程ほどに・・・

現地では電動車イスなどの機器トラブルもありましたし、
介助のゆうたさんはじめ多くの仲間に助けられながら、
自分の体力配分・回復に努めるなか、
仲間に対してできたことなど正直数えるほどもなかったでしょう。
ただ、その中での自分の居る位置、役割がなにであるかを真剣に考える機会をもらいました。

―韓国から見る、日本で制度を利用し生活する自分の位置や役割であったりも。

「自立」に対するその国の現実はまだ厳しいもので(特に難病者にとって)、
制度的にあたたかい日本で親元で暮らす自分にとって、
自立を目指すこと伝えることの意味を良い意味で再確認させられたように思います。

そんな日本であっても、この旅への参加にあたりひじょ〜に多くの壁がありました。
病院の協力を得るにも条件と出来ないことをはっきり伝えられ難航し、

またある方には無謀な計画であり親不孝以外のなにものでもないと諭されました。
それを跳ね返すだけの具体的な準備策も意義を伝えることも充分にできず、
持ち前のポジティブが折れそうにもなりました。

ただ同行介助者の確保も日程が押す中なんとか決まるころには、
それらは壁というよりむしろ必要な作業であり修行でもあり、
心理的な未熟さの目立つ自分には必然だったと感じ、
取り巻くすべて感謝する気持ちで旅に望めました☆

さいごに、家族友人彼女、病院、車イス業者、
募金など応援協力関係者各位さま、
声を掛けてくれたえびちゃんと全ての参加者、
介助としてもメンバーとしても熱く最大限動き回って頂いたゆうたさん、
同行をやむ得ず断念しながらも応援してくれた友人、
今回の旅に関わるすべての仲間に感謝の意を述べたいと思います!


小林さん
07年の一月。事務所内の会議で今年の年間スケジュールを立てていた時のことです。
「今年の8月〜9月にかけて、6年前のRe:TRYということで韓国野宿旅をします。」とトライ実行委員のE氏。
続けて、「景子ちゃん、行こうね?ていうか行くんだからね!」の言葉。
・・・嫌な予感がしていました。
このままではこの無謀なイベントに連れて行かれる。そう思いました。

それまで私は海外に行ったことも無く、
アウトドアは苦手だったので、自分の人生で野宿などあり得ないと思っていました。

その後の準備などを進めていく中で、
トライの趣旨に共感し興味を持ったものの、
自分がどこまで付いていけるのか自信が無く、
初めの数ヶ月は参加を誘われる度にあやふやな返事を繰り返していました。

実際、韓国に行くまで期待以上に不安が大きかったのですが、
終わってみて最初に思ったこと、それは「行って良かった」ということです。

雨の中を凍えながら歩いたこと、一日22km歩いて疲れ果てたこと、
トライ中の全ての出来事を
「仲間が頑張っているから自分も頑張ろう」という気持ちで乗り切ることができ、
すべて忘れられない思い出となっています。

トライが終了し、自分の心境で明らかに変化したと思うことは「好奇心」です。
今までの自分は、挑戦する前に妥協してしまうことが多く、
いつの間にか、新しいことを知ろうとしたり、
興味を持ったことを追求しようとする気持ちが少なくなっていました。

それが、仲間たちと協力し最後まで乗り切れたことで自信がつき、
たくさんの人たちとの出会いに刺激を受け、
色々なことに「もっと知りたい!自分も挑戦してみたい!」という好奇心が沸くようになりました。

今回のトライは、自分を試すという意味合いも強かったです。
でも、自分が参加しトライで得たものを社会にどう還元できるのかを考えた時に、
それはこの活動をたくさんの人に伝えていくことだと思いました。

何事にも挑戦しようとする気持ちは持ちつつ、
でもトライに参加する前の不安で一杯だった気持ちも忘れることなく、
今回の自分の体験が今後自立を目指している人の励みに少しでもなれば・・・と思います。

最後に、様々な形で協力してくださった全ての方々に感謝します。ありがとうございました。


田渕さん
半年をかけて準備を進めてきた2007 AISA TRY が終了しました。
思えば、2年前の夏、
我がセンターで初めての外泊プログラムを愛知万博に合わせて企画、
このプログラムに参加してから、めきめきと変わっていき始めたK君らを見るについて、
あの企画は大成功だったね!と自画自賛していた私たちは、
次はやるんだったら海外もん・・・!と密かに思いは海を越えていました。

今年、DPI世界会議が韓国で開かれる年でもあり、
それに合わせて、ソウルCIL、西宮のメインストリーム協会と東大和で
トライをやることがとんとん拍子で決まっていきました。

こんなヒヨッコCILで海外プログラム・・・
無事に成功したらセンターの歴史を華々しく飾るだろう・・
もっともっと私たちの自信にもなるだろう・・・

私個人の思いとしては、人生の中で野宿なんて、
やろうとも出来るとも思ってなかったこと、こんな機会でもなければまずないな・・・と、
初めは怖いもの見たさのような期待感で胸が膨らんでいました。

しかし、東大和の利用者さんだけでなく、
この企画に多くの障害の仲間が興味を持ち参加の輪が拡がってくると、
手放しに面白がってばかりいられなくなってきました。

参加する9名の障害者のうち、ベンチレーターユーザーが3名も!!

センタースタッフでトライ東京代表はユーザーとは言え、
世界を駆け回るパワフルな人!海外も野宿も(?)手馴れたものでしょうが、
海外初!の人も多く、
それに今年の夏は酷暑という表現がピッタリの暑い夏だったので、
韓国だって暑いに決まってるわ・・
そんな炎天下に歩くなんて・・
みんな大丈夫だろうか・・と段々と不安が膨らんできました。

海外初体験の人にしてみれば飛行機に乗ることだけで精一杯だろうし、
一週間も日本を離れ、
ましてや非日常をなんとか無事に帰ってこれればそれで良し!と考えていたので、
宿泊場所やトイレの事など、結構ギリギリまでのんびりムードだった韓国に
せっせとメールで情報提供のお願いしたりしてました。

今にしてみれば参加者の不安を取り除く為と言いつつも、
実は自分の不安もかき消す作業だったのかもしれませんけど・・・。

それは、これまでのトライの本来の目的とはかけ離れた事であったのでしょう。
センターの中でも、トライに対する思いの違いなど様々な意見の衝突や考えの食い違いなどもあり、
トライに向けて心を一つにしていけるのだろうかと出発直前まで悩んだりもしました。

しかし、そんな紆余曲折にもめげず、トライを歩ききり、
疲れ果ててはいたものの、行って良かった!次のトライがあったら又参加したいよ!
との感想を聞いた時、これまでの困難な出来事はどこかへ飛んでいってしまうくらい嬉しくて、
こみ上げてくるものを堪えることができませんでした。

今回のトライは一週間と短いものでしたが、
歩くという行動は外に向けたアピールではなく、
むしろ自分自身の目標に向かっていくことであり、チャレンジであったこと。
苦楽を共にした仲間との連帯感を含めて、
ゴールした時の達成感と充実感、
安堵の気持ちは参加者全員が味わった感覚だったに違いありません・・・

11カ国200人にも及ぶ仲間たちとの出会いも忘れられません。
私を含めひとりひとりの心に刻まれ、
これからのかけがえのない糧となり、
来るべき困難に立ち向かうときはパワーとなり、
私たちを守ってくれるでしょう・・・・。

私たちがこうして、無事トライを終えることが出来たのも、
何より東大和のスタッフがいてくれたからこそ。
募金やTシャツ販売など、様々な形でのたくさんの協力と応援があったからこそ。
感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。


木下くん
初めて韓国旅行のことを聞いたのは、
事務所の渡辺さんが韓国の下見にいったらしくて事務所の人たちに行こう!
と誘われたけど、いつの間にかその話が無くなりました。

07年の5月頃事務所に行ったら、急に夏に韓国に行くから一緒に行こうと誘われました。
その頃、体が大丈夫かと韓国行きを迷っていた頃、
TRYの会議にちょくちょく行っていた時に大阪の人に
「事故にあった時一回死んでいる命だと思えば怖いものはないね」など言われたり、
僕より重度の人たちも行く事や
六年前にTRYに参加した人たちの話を聞いて面白そうだったので参加することに決めました。

準備はいろいろ大変だったけど、いろいろな人が協力してくれて、何とか間に合いました。
飛行機は狭かった。

韓国の人は優しくて、ビラ配りをしても日本の場合は素通りする人も多いが、
韓国の人は受け取ってくれた。

僕のコースは人数が一番多くて時間が押せ押せで、もっと人数を分けたほうが良かったと思います。
TRY最終日みんなが合流してからゴールしました。そして、みんなで喜び合いました。
TRYは結構面白かったし、海外旅行は初めてだったので自信になって良かったと思います。


服部くん
歩いているときは、この電動車イスが重いんだよぉ、朝は眠いんだよぉ、
とブーブー言いながらいっぱいいっぱいで動いていたくせに、
最終日には、もう1週間のおかわりを!と思うTRYでした。

といいますのも、
さまざまなものをそぎ落とした「人」という味わいを
ちょっとだけ覚えたからかもしれません。

準備段階から専従介助者として参加しているうちに、
この「介助者」という役割がTRYに似つかわしくないと思うようになりました。

CILの介助者として過ごす日々は、「利用者」と「介助者」ありき。
この距離感、役割に気を遣います。
そこを間違えてしまうとお互いに長くは付き合っていけない。
しかし、このTRY、いささかこの重要な役割分担という前提がおかしいような…。

CILの団体が主催するイベントにCILの利用者がCILの介助者を連れて参加する。
なのに、なぜこのポイントに違和感を覚えるの…!?

ぼくが付いた利用者は筋ジスの要全介助者。
人工呼吸器も使用しているから、朝起きてから夜眠りに就くまで、
いや、寝てからも、気兼ねなく頼める介助者がいたほうが楽なはず。

ぼくもそのつもりで、当初は彼の体調急変など最悪の場合の対応から逆算し、
どうやって彼の健康を害さずに
責任ある8日間の24時間介助を自分も倒れることなく全うできるか、
そればかり考えていました。

そして、TRY参加に当たり環境が許さずに涙を呑んだ友人たちがいます。

人工呼吸器ユーザーだって、電源と介助者がいればTRYを味わえるのだ!
彼らを阻んだ人たちに向かってどうしても見返してやりたかった。

そのためにも自分の利用者が重度化することなく笑って帰国させてやるんだ、と気負っていました。

そういうのも大切よ。

でも、なんか違うらしい。

幸か不幸か、ぼくの利用者はTRYを貪欲に実践しようとしてくれる人でした。
そして東大和のTRY経験者は、
介助者として振る舞おうとしているぼくに「自分の言葉」を求めてきました。
なので彼らは、韓国に着く前からぼくを通常の介助者としてはみなさず、
一個人としてお互いに尊重し合ったかたちでありつつ、
自分の言葉で言いたいことを言い合い、のびのびと準備、本番に当たらせてくれようとしたのです。

戸惑ったのはぼくのほうで、
これは介助者として職責放棄にならないだろうか?なんて考えるほど。

介助者として腹を据えているつもりではいましたが、「人」として腹を据えてはいなかったようです。

そして、彼らのしようとせんことをなんとなくわかりかけて突入した本番。

しかし実際本番に入れば、
障害者も介助者もメンバー同士の交流をする暇もなく自分たちのことで手一杯。
障害者は障害者として疲れ、
介助者は介助者として疲れ、
まとめ役はまとめ役で疲れ、
そして、いくつかの問題が起こったとき、
やっとお互いの役割を超えた「自分たちの言葉」で向かい合うことができたのが5日目。

ようやく福祉制度の枠に収まっていた日常が消え、
これから!
というときにゴールのソウルに着いてしまいました。

手の空いたものが手を必要としているものに手を伸ばし、
手を休めたいものがいれば手を休めていたものが代わりをする。
話しをしたい人のところへかけより、話しを聞きたい人のそばで耳を傾ける。
意見が違えば議論し、
面白ければ笑う。
5日目以降に見られた光景。誰が誰に属しているわけでもなく、誰もが誰かに属している。

「○○さんの利用者」「○○さんの介助者」にとらわれていたらそのようには動けない。
狭義的福祉の範疇では味わえない連帯感。

医療的ケアの訓練を受けた介助者が必要な人でもTRYはまるごと受け入れてくれました。
でも、TRYをよりよく味わうためには、
利用者も介助者もその役割を突き放し、
自分自身をそしてお互いを「人」として見直せるかが大切なのだということを実感しました。

自分でお金を募り、歩き、ともにご飯を食べ、寝袋にくるまり、雑魚寝して、
自分の言葉で語るという過程は、「人」を抽出する効果的な作業なのですね。

そして改めて搾り出される「自分にとっての役割」。
今何ができる?自覚される自己責任。
そこから生まれる「人」としての対等な気持ち。

TRYというのは、
障害がある人たちとともに歩くといっても「障害者福祉」なんて枠には収まらないようです。
「障害当事者」だとか
「介助当事者」だとかという福祉制度で確立された便利な役割を突き放し、
社会的役割や責任という装飾を、ひとりの「人」になるまでどんどん削いでいってしまう。
「○○『当事者』」なんて肩書き関係ない。
あなたもわたしも「人」でしょ?!
そのあなた(わたし)がどうするの?!
それがTRYの味。

なかなかどうして、口当たりはピリッと辛口ながらも、
舌の上でとろけて、喉越しは甘美でございました。
けっきょくお給金を頂く立場。
「介助者」という看板を純粋に降ろすことはできませんでしたが、
それでも、この味を口にする機会を得られたことに、感謝。

これが味わえただけでも来れてよかった。
そしてなにより、
参加した全員が歩き通し帰国できたこと。
アジアの仲間にも地域での生活を!と言いながら、
自分が道端で倒れては説得力も何もない。
自分の責任でみんなと歩いて生き抜く。
まず1週間。これが達成できたのですもの。これを少しずつ拡げていければいつかは!なんて強く思う。
だから味をしめて、おかわりしたくなっちゃったりもするわけです。
あぁ、今では、午前3時半、
右にLTV、左にBiPAP Harmonyの呼吸音を聞きながらやっとの眠りに就けた
あの時間が恋しいです……(というのはちょっと嘘)


袰川さん
私は、TRYの事を知ったのは私が働いている事務所の人がきっかけでした。
私はその人から最初、「一週間ボランティア活動するだけだよ!」と、聞いていました。

私は元々今年、ボランティア活動してみたいと思っていたので、
知り合いがいるボランティア活動は心強いと思ったのでますます興味が湧きました。

最初はこのような安易な気持ちでした。
だんだん行く、メンバーが決まっていき、
TRYの詳しい事を話されたとき、
TRYの今回の場所は韓国ということと、しかも一番驚いたことは野宿ということでした。
どれもまだ経験したことが無いことばっかりだったので、とても不安でした。

最初は、民宿に泊まって一週間ソウルに向かって歩き続けるかと思っていました。
私が思っていたことと全く違っていたので、
皆に迷惑をかけないことと、一週間やっていけるか自信がなかったです。

そんな時、メンバーの田中さんに
「袰川ちゃん、今回どうする?行くの辞める?」と聞かれたとき
私は一度行こうと思ったのだから、何があっても行こうと決めました。

そして出国の時、いよいよ初海外、初野宿、初めてだらけの一週間が始まりました。

仙台から成田空港に、約8時間夜行バスに乗り
成田空港からインチョン空港に約2時間半ぐらいで着きました。

その後、他県の方々と合流し、皆でバスに乗りました。
私は初めてだったせいか、バスの中で寝てしまっていました。

正立会館に着いた頃、皆で夕食を取りながら、
同じチームの人と顔を合わせ親睦を深めていました。
私はその日の夜、同じチームの沖田さんが、
私にパルハットとサミスを紹介してくれました。
でもパルハットとサミスは外人なので、私は紹介された瞬間どうしようと、不安でした。

私は全く英語ができないので、
仲良くなりたくてもコミュニケーションがはかれないよと、一人で焦っていました。

その事を察っしてくれた沖田さんが私に、
皆日本語話せるから大丈夫だよと言っていたのを聞いて、
私は本当に良かったと思いました。その事を聞いてから、皆と話すようになりました。

次の日、皆で韓国の市役所前に行き、開会式を行い、
ソウル駅に向かい各チームごとに行きました。

私たちのチームは、ソウル駅からオサンに向かいました。
その日は、皆でサウナに向かいサウナに泊まりました。
そこのお婆ちゃんは、私たちにとても親切にしてくれました。
朝、雨が降っていたのですが、皆で楽しく歩いたので、辛いとは思いませんでした。

二日目は、上り坂が急なところが沢山あったので、ちょっと辛かったです。
その日はいろいろなサウナがあるところに泊まりました。
そこのサウナはとても良かったのですが、
お店自体の環境はとても良いとは言えませんでした。

まず一つは、サウナに着いたとき、
お店側の人がエレベーターを使用する時間を決めたことです。
このような言い方は良くないのですが、
健常者は歩けるので営業が終了するまでサウナを楽しめるはずです。
でも、障害者にとっては歩くことも辛くて大変な人もいます。

もう二つ目は、サウナの所に持って行く車イスを一つにしてほしいと言われたことです。
確かに幅を取られるかもかもしれないですが、
そんな風な言い方をしなくてもいいのになと、思いました。

三日目は、デパートの前でTRYのチラシを配りました。
日本と違って韓国の人はけっこうチラシをもらってくれました。
それと沢山の人がTRYのについて、興味を持ってくれたのか、話しかけてくれました。

チラシを配っていたとき、各それぞれ、自分の母国語で街の人に訴えていました。
私は、韓国の人に健常者が平等で住みやすい環境が作れることを願って、
私たちはソウルまで歩き続けますと、私は町の人々に訴えていました。

その日夜、福祉センターで泊まりました。とても皆さん、私たちに良くしてくれました。
皆で食事をとった後、同じメンバーの人が誕生日だったので、皆で祝いをしました。
私は、とても印象に残っていて楽しかったです。

次の日の朝、福祉センターで韓国のお茶会があったので、
皆でシマチョゴリを着て体験をしました。
日本の茶法と違うのは、最初立ってから手を額の所に当てて、
真っすぐ下におろしてきて、おへその辺りで手を止め、徐々に座っていきます。
あと、お茶を二回で飲みきることと、お菓子の模様を自分で型とることです。
お菓子の模様つけは、とても面白かったです。

その日の朝、他のチームの人と合流し、一緒に歩きました。
この日はサウナで寝る人とデパートの駐車場で寝る人に別れました。
私はデパートの駐車場で野宿しました。
同じチームの人と、夜中にマクドナルドに行き、日本ではないメニューを満喫してきました。

この日寝たのは、深夜の三時頃でした。
寝付いた頃にデパートの警備員に起こされてしまいました。
その警備員に、駐車場に泊まることを伝えてくれればいいのにと、言われてしまいました。
すぐその場から立ち退いてと言われ、吹笛でテンポ良く 動されました。
皆一回サウナに戻り、仮眠をとりました。
午前十一時頃に出発しました。この日は、ソウルに向かって歩きました。
途中、アーケードでチラシを配ったり、アピール活動をしました。
歩きながらも、たくさんの人にチラシをもらってくれるようにお店の中に入ったり、
歩きながら、TRY fithingと声を掛け合っていました。

そうこうしている間に、ソウルに着いた瞬間歓声がわきました。
とても嬉しかったです。
皆で達成感を感じつつ、記念撮影をしました。
集合する場所にだんだん近づいていくと、
他のメンバーと会い皆で目的地に向かい歩いていました。

目的地に着いた瞬間、「わぁ〜!」と言う歓声でうめつくされていました。
私もとても嬉しかったです。ゴールに着いたとき、皆で水掛をしました。
私もいろんな人に水をかけられてびしょびしょになってしまいました。

その後に閉会式がありました。
閉会式では、なぜTRYに参加したのか、また次のTRYの候補の場所があげられてました。
皆でバスに乗り、正立会館に向いアジア最大の合コンが行われました。
ねるとんもあり、盛り上がりました。

私はこのTRYに参加して、とてもよかったなと思います。
初めて体験したことも多いですが、
何事にもうろたえず前向きに進むことと、
自分の意志をちゃんと伝えることをこのTRYで学んだと思います。
まだまだ私は、なにも出来ていませんが、
これからTRYで経験したことを頑張って活かしていきたいです。


奥平くん
グループに分かれて1週間歩いた。その中で人の家に泊まったりした。
事前に現地でCMを流して募集してたみたい。
1日のスケジュールは、
だいたい朝9〜10時ぐらいに歩き出して休憩をしながら夜6時ぐらいに目的地に着く。
遅い時は、11時ぐらいの時もあった。
ちょっと、怖かったときもあったけど。現地の人も優しかった。
歩いてる時に、TVで見たよって声かけてくれて泊めてくれる人もいた。

今回、行ったことでバリアフリーの事や自立の事を考えさせられたよ。

僕たちが声を上げていかなければ、
現状は何も変わらないし変わる可能性も少ない。
もっともっと障がい者が外に出ていかなければと思った。
とてもいい経験が出来たよ。


大川くん
疲れたけど、楽しかった。
イルカの人以外の方達と交流もできた。
車いすを押したり、何か問題があればメンバーで協力していった。
今日はどうする?みたいな。

3日目だったかな、島に渡ろうと船に乗る予定だった。
だけど、時間がギリギリで間に合わなさそうだったけど、待っててくれた。
その時のみんなの協力はすごかった。
山道とかもつらかったけど、色々な話をしながら、楽しくTRYできた。

自分たちのコースは1回韓国のCILに行った。
そこで、現地のCILの人たちとバリアフリーの要望書を出しに役所まで行ったりもした。

デパート前でビラ配りとかもやったし。
歩いているときは、皆でコールを掛けながら歩いた。とても良い経験ができた。

泊まるところは、毎回お風呂もあったし他のコースと比べたらその辺は楽だったかなぁ。
毎日夜12時ぐらいには眠ってた。
でも最終日は、雨降ってて濡れながら歩いたから少し寒かった。
それで、その日はサウナに泊まる予定だったんだけど、
たどり着くと予約がないから10人単位ではムズかしいと言われて、
結局、夜11時ごろまで宿を探し回ったよ。
ご飯もかなり遅くなったし。まぁ、他のサウナに泊まったんだけど。
一番ハードで一番つかれた。
そう、ゴールして全体で合流したときに
次も絶対にやろうと意味でそれぞれ水が入ったコップが回ってきたんだけど、
合図で一斉に周りの人にかけあった。
普通に寒かったけど(笑)雨ふってるし(笑)楽しかった。

また、あるんだったら行きたいなぁって。

外国でやることで、雰囲気は変わるけど、
障がい者運動としてはいつもやっている感覚だった。
ただ、毎日キムチだから和食が恋しかった(笑)
いつも通り、当たり前のことをやり続けていきたいです。


平良くん
行く前は、野宿できるかと心配だった。
親にも「お前は野宿できない」と何回も言われた。
心配かけないように泊まるところもちゃんとあるよって言って、
何とか行くことが出来た。

韓国では一緒に歩くチームも楽しい人達で、
歩きながら、おしゃべりしながら、楽しかった。良い体験になったと思います。

1日4〜5時間歩いたんだけど、
朝は早いときで7時ぐらいにはもう出発していました。
夕方5時には目的地に着いた。
韓国の食べるところは昔の田舎みたいだった。
スロープもなくて、車いすでも入れない。
トイレも和式ばかりだった。その時は組み立て式の椅子でトイレした。不便だなって思った。


仲盛くん
8月27日〜9月3日まで韓国に行ってきました。
メンバー僕と大川さんと和希と友也、奥平さんとクニタケさん、
介助者はうのさわさん、いけはらさん、兼次さん、くにはやさん、けらさんでした。
初日は兼次さんの件もありましたが、無地に合流できました。
僕は大川さんと一緒でしたが楽しかったです。」


吉中くん
8月27日〜9月3日までASIA TRYというイベントで、韓国の方に行ってきました。
TRYは、2日目から各コースに分かれてソウルを目指して歩きだしました。

僕のコースは文山という所で、
まず20何人かの人達とソウル駅から電車で文山駅まで行きました。

ご飯は、ほとんど毎日焼肉屋に入りました。
最初にすぐキムチとシシトウ辛いのがたくさんでてきて、
シシトウはとても辛くて舌が痛かったです。

TRYは、野宿をすることになっていたのですが
韓国の人が食べるところも泊まるところをもうすでに探してくれていました。

そこで、メインストリームの人が自立生活を伝えにきたのに
施設みたいに決められていて、
これまでやってきたTRYとは違うという意見がありました。

僕も言われてみればそうだなぁと思いました。
そして、みんな集まって話し合いをして問題を解決しました。
これからは、泊まるところも自分たちで探し食事をするところも探すことに決まりました。

それから2日目は、17キロの距離を歩いて一番長く歩いたのが26キロです。
昼間は暑くて汗もかき、水を何杯も飲みました。

大変だったのがお店やサウナなどに入る時、
ほとんど段差や階段で車イスを持ち上げたりして大変でした。

最終日は、朝4時起きで6時にバスが空港に向けて出発し沖縄に帰りました。
最後に同じコースの人達と、
仲良くなれて楽しむことができたしアジアの人達とも交流を深めることができて良かったです。


国吉くん
最初は、電車に乗って、山奥の町に着いてから歩いて宿に行った。
夜になってた。
やっぱり、韓国の道はアップダウンが激しかった。
田舎の道路は、デコボコ道だった。
やっぱり、日本に比べたらまだまだ遅れている。

おまけに食堂がせまくて、おちこむ段差だらけ。
公民館では部屋が1つか2つしかなく困った。

トイレも段差だらけだった。
他に泊まったところは障がい者福祉施設だったけど、トイレがせまく入りにくかった。
韓国の障がい者は1人で、介助者がいなくてフシギだなと思った。
最後まで参加してよかった。いつか沖縄でもトライをやりたい。」
  
B海外組メンバーの感想

アン・サンフン(韓国)
今年の夏、5泊6日間のTRYに参加したことを思い出すと
今でも胸がドキドキし、その場所に自分がいたことが夢だったように感じる。

トライ開催の2ヶ月前、
ソウル障害者自立生活センターに実習生として入ってきた私は、
その時からTRY実行委員として毎週実行委員会会議に参加し、
色々なことについて仲間たちと議論し、
日本側の実行委員会と意見調整をしながら本格的にトライの準備に関わった。

初めは、最後までやり遂げられるかどうか自分でも自信がなく、
無謀な挑戦をしようとしているのではないかと思ったこともあった。

また周囲の人々からは
「本当にお前にできるのか」「わざわざ苦労を買ってでなくてもいいのに」などと
皮肉にも似たことを言われたりもした。

しかし毎日のように会議をし、
会議で決まったことに沿って準備を進めていくうちに
自分の中でTRYに対する情熱が湧いてくるのを感じ、
短い期間ではあったがたくさんの人々と一緒に汗を流し
睡眠時間を削りながら最善を尽くして準備をした。

当初はソウル市から下りた補助金を基に、
韓国と日本の参加者でTRYを開催するということだったが、
時間が経つにつれてイベントの規模がだんだんと大きくなり、
パク・チャノ所長や実行委員たちはTRYの広報をしながら資金の支援を得るために奔走し、
会計チームではこのイベントを無事に終えるために毎日計算機とにらめっこをし、
コース下見チームではTRY期間中の宿泊場所を探しに走り回っていた。

また、そのような準備作業の合間を縫って、
障害者を取り巻く環境が
まだまだ難しい状況下にあるアジアの国々の自立生活センターを支援するため、
喉が枯れるほど大きな声で市民達に訴えかけながら募金活動を皆で行った。

TRY開催直前まで一番の課題となっていた、
宿泊場所の問題はたくさんの団体および公共機関の支援によりなんとか解決できることになった。

8月25日、ソウル自立生活センターの近所にある
ボニエル教会の一室を借りてTRY韓国国内参加者の事前オリエンテーションを行い、
いよいよTRYが始まるんだなという実感が湧いてきた。

そして悪戦苦闘しながら準備をした
‘2007 ASIA TRY’が
8月28日、国会議事堂にて
アジア11カ国200名余りの参加者を集めて行った開幕式によってついに始まった。

参加者たちは9つのチームに別れ、
各チームの出発地点に向かってバス、地下鉄などの交通手段を使って移動した。

この記念すべきTRY開幕式の日は
私にとってもう一つ別の意味を持つ忘れられない日となった。

なぜなら、TRYが始まったこの日はとても嬉しい日でもあったが、
私が生まれて初めて交通事故を起こした日でもあったからだ。

地下鉄で移動する烏山(オサン)チームのメンバーたちをソウル駅で見送った後、
私は皆の荷物とその他支援物資を積んだ車に乗り込み、
運転しながらひとり別ルートで烏山駅に向かった。

イベント開催で浮き足立っていたのか、それまでの忙しさで疲れが出たのか、
運転中の不注意で接触事故を起こしてしまった。
初めての事故でとっさにどうしていいのかわからず頭の中が真っ白になってしまったが、
センターの職員に連絡して色々と助けてもらったおかげでなんとか解決することができ、
その後もTRYに最後まで参加することができた。

今回の経験で教訓を得ることもできたし、
自分自身でも成長できたように思う。

このように慌しかった一日目の夜を私はあまり眠れないまま過ごし、
また20名余りの烏山チームのメンバー達はTRYの第一歩を踏み出した。

次の日、
烏山駅を通過した頃から雨が降り始めたので大変な道のりになりそうだと思ったが
実際に雨に打たれながら歩いてみるとそれも案外気持ちがよく、
烏山チームは力のこもった掛け声を皆でかけながら良いチームワークで
水原(スウォン)に到着した。

この日の晩はチムジルバン(韓国の公衆浴場・サウナ)に泊まろうということになり、
歩きながら見つけたチムジルバンに行ってみたが、
多くの障害者がいっぺんに利用するということが
今までなかったせいか受付で追い返されそうになった。

障害を理由にチムジルバンの利用を断るというその考え方を変える必要性を感じた私たちは、
障害者の権利を主張しながらチムジルバンの職員と交渉し、
最後には利用できるように説得した。

交渉を見守っていた私は、
もし自分が障害当事者だったら堂々と自分の権利を主張できるか?
という疑問がわいてきた。
この日の出来事は私にとって自分自身についてもう一度考える機会となったし、
今後自分が目指していくべき方向を提示してくれた。

3日目、
前日チムジルバンで疲れを取った私たちは水原駅に移動し、
駅前でTRYを広報し、
私たちがなぜ歩くのかその趣旨を市民達に伝えるためチラシを配りながら
大きな声でスピーチをした。

その後、天安(チョナン)チームと合流するため義旺(ウィワン)市に向けて歩き始めた。
そんなに離れていないのですぐに会えるだろうと思っていたが
雨が強く降り始めたこと、また思ったよりゆっくり歩いたことにより、
合流するのは次の日にし、
その日は地域の消防署で紹介してもらった青少年修練館に宿泊することになった。

この日はパク・チャノ所長の誕生日だったので
チームのメンバーたちは本人に秘密で小さなイベントを企画し誕生日を祝った。

そして次の日の朝、
青少年修練館の協力で韓国の伝統的な文化を体験できる機会を得、
外国から来た仲間にとってはとてもいい経験になったようだった。
お互いに言葉は通じなくても一緒に何かをやることで段々とチームが一つになっていくような気がした。

TRY4日目、
義旺市内で天安チームと合流した。
4日ぶりに見る仲間たちなのに、
まるで離散家族
(韓国では南北分断などの事情で別れ別れになりお互いに消息を知らない家族のことを意味する)が
何十年かぶりに再会したかのように、
お互い抱きあって再会を喜んだ。

5日目にはソウル市に入ったが、
疲れている体で互いに励ましながら登った長い坂道のてっぺんにあるソウル市との
境界線に着いた時には皆で喜び、記念に写真を何枚も撮った。

その日の夕方には竜山(ヨンサン)で水原チームと合流したが、
この時もまるでお祭り騒ぎのように再会を喜んだ。

最終日、
9つのコース全200名余りがTRYの最終目的地である清渓川(チョンゲチョン)広場を
目指して歩き出した。

ゴールが近づくにつれて不思議な感じがしてきた。
先に到着したチームのメンバー達がその後に続々と到着するチームを
拍手と歓声で迎えるのを見た時「これで終わってしまうんだ」という名残惜しさを感じ、
同時に心の中で涙が出てくるようだった。

短かったが5泊6日の間、
国も環境も特徴も違う私たち全参加者の心を一つにしてくれたTRYに感謝したい。
以前は、
「こんなイベントに参加してなぜわざわざ苦労を買ってでるのか」
という問いに答えられなかった自分がいたが、
今は堂々と答えられるような気がする。
私たちすべての人間は地域社会で平等に暮らす権利があるということを。

大変だったけれど楽しかった
‘2007 ASIA TRY’。
幸せだったその時間を全ての仲間たちの姿と共に一生忘れないでおきたい。


キム・ジョンデ
8月28日、まだ蒸し暑い夏の日、
アジア11カ国から障害のある人ない人合わせて約200名が
韓国の国会議事堂に集まった。

なぜ200名もの人々が国会に集結したのか?
皆で座り込みでもするつもりなのだろうか?
でなければ他の目的でもあるのか?…
そう、彼らは自分たちの権利を社会にアピールするために集まった人々だった。

しかし、他の場所でもよいはずなのになぜ
大韓民国の国会議事堂なのか?…

それではこれからその理由を述べてみたい。
2007年3月、私はソウルのある障害者自立生活センターから電話をもらった。
「ASIA TRYというイベントがあるんだが、参加してみる気はないか」という連絡だった。
私は特に深く考えることもなく「わかった」と答え、参加することになった。

その後5月に私はソウルへ上京することになった。
3月に電話をもらった、その自立生活センターで働くことになったのだ。

その時から私は毎週月曜日の午後6時になると
ASIA TRY実行委員会という会議に参加するようになり、
そこでTRYというイベントについて知り、
なぜそのようなイベントをするのかという疑問が解けた。
そんなこんなで8月28日から9月2日まで5泊6日の日程でASIA TRYが始まった。

開催第一日目の8月28日、午前10時に国会で開幕式を行い、
その後ソウル駅まで全参加者が一緒になって歩いた。
そして昼食を取った後、9つのコースに分かれ、
それぞれのコースの出発地点に移動を始めた。

私はその中で連川(ヨンチョン)コースのガイドを担当することになった。
私たちのチームはパキスタン人7名、日本人7名、韓国人8名で構成されていたのだが、
初めのうちは言葉の壁のせいか、皆お互いに居心地が悪そうにしていた。

しかしそんな心配もつかの間、
特有のボディランゲージを上手く使って意思疎通をしている姿を見ながら、
「あー、みんな同じ目的を持って集まった人たちだから打ち解けるのも早いんだな」と思った。
そんなふうにして第一日目は各コースの出発地点に移動しながら一日が過ぎていった。

二日目、朝からしとしとと雨が降り出した。
雨が強くなるか心配したが昼頃になって雨が止み、
午後にはかえって歩きやすい天候になった。

道中私たちを応援してくれる人には特に出会わなかったが、
それでも私たちは掛け声をかけながら、私たちの叫びを訴えながら、
自分たちなりに一生懸命歩いた。
そしてその日の宿泊地に到着すると歓喜に満ちた声で更に大きく掛け声をかけた。

三日目、一緒に歩いていた仲間の一人が途中でやめ、チームを抜けることになった。
チームを去る人もそれを見送る側の人も
最後まで共に歩けなかったという残念な気持ちでいっぱいになり、
その分残っている人たちは更に力いっぱい歩き続けた。

こんなふうに四日目、五日目、
そして最終日まで大した事故もなくソウルに向けて歩き続けながら、
私たちは日ごとに情を深めていった。

最後の日、ついにソウル市内の清渓川に到着し、
TRYのフィナーレを迎えた瞬間、様々な感情がわきあがってきた。
イベントを無事に終えることができてよかったという思いと、
チームのメンバーたちとの別れの時が来たという瞬間が私の頭の中をかすめた。

そして最後の交流会の瞬間、喜びが満ち潮のように襲ってきた。
交流会の夜は深まり、朝が来ようとしていた。
別れの準備をしなければならない時間が近づいているのを感じていた。
2007年5月から8月まで、4ヶ月間準備してきた時間が頭の中を駆け巡った。
大変だったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、
全てが一つ一つの記憶として残っていた。

そしてASIA TRYが終わって3ヶ月たった今、
その記憶を手探りで探すようにしながら感想文を書いている。
あの時出会った人々にまたいつ会えるのかはわからないが、
私の心の中にはまだあの時共に歩いた約200名の人々が一緒にいる。
私にとって一生忘れない思い出となるだろう。
そして今後もこのようなイベントがあるのならぜひ参加して良い思い出をまた作りたい。


キム・ミジョン(韓国)
大学での最後の学期を目前にしていた私は新学期が始まると同時に
ASIA TRYというイベントについて耳にした。

TRYの主な趣旨が、
アジア地域の障害者と健常者が韓国に集まり1週間の間
自立について叫びながら歩き、
この叫びによって世の中も変化させるという目的を持っているということを知った。

このイベントの趣旨を知り、絶対に参加しようと思った。
学校の開講日と重なるため、
1週間の間学校に行けないという事実が心にひっかかったが、
そんなことも気にならないくらい私の情熱は熱く湧いてきた。
どんなにわくわくしたことか。
障害者福祉のために障害者と一緒に歩くということ自体が。

このような感情を胸に抱き、
TRY開会当日、朝6時に起きてソウル行きのバスに乗った。
事前のオリエンテーションに参加できなかったため
直接国会議事堂に行くことになったが、
そこで初めて一緒に歩くことになる、
一緒に夢を追いかけることになる人々の姿が見えた。

ざわついた雰囲気の中で人々は活気と情熱に満ちているようだった。 

その中には呼吸器を着用している重度障害者の方もおり、
その方々の姿が一瞬にして私の視線を釘付けにした。
私には丈夫な二本の足で歩ける健康な体がある一方で、
呼吸器を着用した方々はそのようなわけにはいかず命まで危うく見えたが、
その中で今回のASIA TRYに命までかけているような情熱を感じた。
そのため私は大きな刺激を受けることができ、
それが更に一生懸命歩こうという動機付けになった。

国会議事堂前に200名余りの障害者と健常者が共に集まり、
横断幕を掲げて団体写真を撮った後、
大変な道のりをやり遂げるんだという期待感に酔いしれ、出発!と叫んで
私たちの歴史的な瞬間が始まった。

初めて自分のチームの人々に会った時、
すぐには打ち解けることができず心配になった。
手話もできず、
英語での意思疎通も上手くできない私がこの人たちと仲良くなれるのかなという思いもあったし、
実際に私たちのコースのメンバーは身体的にはそんなに重い障害がない反面、
聴覚障害者の比率が高かった。
こんな不安をいっぱい抱えたまま、
宿泊場所のヨジュ教会で最初の晩を過ごすことになった。

一日目は私の心配とは異なり、
運よく周囲の人々の助けで意思疎通の壁を破ることができた。
しかし意思疎通の壁を上手く克服することができた一番大きな要因は、
お互いの心でわかろうとしたという点であった。
言葉が通じなくても眼差しや顔の表情を上手く使って会話することで
国際的な言葉の壁を越える心の交流をすることができた。

二日目に入ると心配していた雨が降ってきた。
雨が降ったお陰で履いていた靴が濡れたばかりでなく、
着ていた服まですっかりびしょびしょになってしまい、
24kmを歩く間に足に水ぶくれができるなど、
その日の道のりは順調ではなかった。本当に家に帰りたいという思いに駆られた。

大学4年生である私は就職準備もしなくてはいけないし、
論文も書かなくてはいけないのに、
雨に打たれながら歩いている現実が悲しく思えたからであった。
とても大変だったし私自身との戦いが始まった日であった。

 29日夕方、チャンドン2リ公民館に集まった私達は地域住民の協力で、
雨でずぶ濡れになった体を洗い流すことができ、その後一緒に集まって会議を行った。

障害者に対する認識を改善するために
どんなイベントをするのが良いかということについて
お互いの意見を集めた。

意見を集めた結果、
市庁職員に私達の思いを集めて伝えることにした。
会議を通して、車いすでの移動がしやすいように
歩道のブロックを平らに作ってほしいということや土やガラス、
段差などを取り除いてほしいということを要請し、
聴覚障害者の文化を伝えるための講座開設、
そして市民たちに新しく制定された障害者差別禁止法について知らせることを
要請しようということで意見が調整された。

また、イベントとして、カンジュ市外バスターミナル前で
障害者に対する認識改善と合コン大会への参加をPRするということで意見が集まった。

次の日、利川市庁福祉課長と障害者関連団体の会長に
私達の思いを手紙に書いて伝達した。

私たちが今回の行事を行う理由を利川市庁に知らせる契機となり、
障害者の移動権を保障するよう声を上げる契機となった。

社会福祉学科の学生として
このように直接地域社会に声を上げ訴えかけたことがなかった私は、
何か少しだけ役に立てたという思いで胸がいっぱいになった。

カンジュ市外バスターミナル前に集まり、広報のカードとチラシを即席で作り、
人々の前でPRを始めた。

私たちは大きな声を出して障害者の自立、人権などについて叫んだ。
人々は皆私たちに注目し始め、
私は通りすぎる人々にチラシを配る役割をした。

ひとりひとりの意識が重要だと思い、
今のこの努力がこれからの障害者の生き方に影響を与えうるんだという思いで、
心を込めて私たちの活動について知らせた。

この瞬間こそ、
人々は私たちの声や活動について関心を持ち、
何かしらについて気づきを得ていたのではないかと思う。

イベントを終え、次の日には足を踏み出すことが大変なほど
体中ボロボロだったが私たちは変わらずまた歩かなければならなかった。
一日目は大変でもうやめたいという気持ちでいっぱいだったが、
自分自身との戦いに勝ち、今私たちが歩いているこの過程が美しく思え、
力を出して歩き続けた。

4日目、困難が立ちはだかった。
それは高い上り坂を越えなければならないという問題だった。
平らな道路を歩いても長いこと歩いていると足に水ぶくれができるなど辛い道のりなのに、
私たちにはとても高い上り坂が待っていた。

3日間歩き続けたためみんな足が疲れている状況で坂まで越えようとは、
その大変さが倍に感じられた。
坂はとても高く車いすに乗っている障害者たちを
一緒に手伝って押していかなければならない状況で、
更に平地では一人で押すこともできそうだが
坂では二人の人が一緒に手伝わなければならなかったので二倍大変だった。
坂で車いすを押すことは車いすの重さも加わって
その分大きな力が必要なため、一人の力で押すことは到底できなかった。

そのため私たちは一緒に力を合わせてお互いの背中を押し、
その後ろでさらに違う人が押したりして
その大変で辛い坂をけが人も出さず克服することができた。
坂を上りきった後、やり遂げたという思いと共に幸福感を感じることができた。

大変な道を歩ききり、障害者施設であるソマンリハビリテーションセンターに到着した。
その施設では車いすに乗った障害者の方々と交流会を行い、
それぞれ1:1でペアを組み、自立生活について経験談を共有する時間を持った。

私はペアがいなかったので脳性まひの韓国の障害者と
日本のメインストリーム協会の職員と一緒に3人で話をすることになった。
私達は韓国の障害者に、自立生活の成功例について話を伝えた。

そこでの日程を終え、私たちはソウルへ向かった。
歩く過程はほとんど終わり近づいたという感じだったが、
なんとなく残念な気持ちになった。

最初は歩くことがとても大変で、それがだんだんに慣れていって、
まだまだ遠いと思っていたのに突然私たちは目標の到達点に来ていたのだった。
もう少し歩かなければいけないような気がするのにもう到着なんて、残念で寂しかった。もっと歩き続けたかった。

最後の日、私達はサウナで疲れを癒し、
皆で清渓川に集合し、閉幕式を行った。

本当に最後なのかと考えながら、
ほっとしつつも名残惜しい感情が胸の奥を刺すようだった。

一緒に雨に打たれながら歩き、
足にできた水ぶくれで辛く、
お互い言葉は通じなかったが穏やかな笑顔や眼差しを通して
十分に情を通わせていた私たちに、
さあそれぞれの日常に戻りなさいとせき立てられているようだった。
このまま時間が止まったらいいのに…。

私たちはお互いに挨拶をして別れなければならなかった。
皆が握手し抱き合い、
私も知らず知らずのうちに胸がすっきりとしていくように涙が出てきた。

6泊7日という期間は長いように見えるが、
私にとっては瞬く間のように早く過ぎ去った、
それほど大切な名残惜しい瞬間瞬間であった。

アジア地域に住む障害者と健常者が
一緒に自立生活を叫びながら心をひとつにして歩いた記憶は今もって頭から離れない。
自己決定権が保障されていなかった
障害者の人生から自立のことまで、
聴こえず声を出して話すことができない彼らの生活、
車いすを足としなくてはいけない彼らの生活、
開発途上国で自立生活を引っ張っていこうとし
監獄に29日間収容されるという侮辱を受けたネパールでの生活、
私たちより先に進んだ障害者福祉を成し遂げている日本での生活、
このように多様な人生を生きている私たちが同じ場所に集まり、
ひとつになるということを経験し、
忘れがたい出会いを通してじんとするような感動で私の心は一杯になった。

北極星は一番明るく輝く星の一つだ。
今回のアジアトライはこのようにお互いが
お互いにとって北極星のような存在になったと思う。

歩いている間、聴覚障害者は車いすに乗っている障害者の足となるなど、
私たち各自がお互いの不足している部分を埋めあうかけがえのない存在だった。
お互いを心配し、励まし、
お互いの心を理解することを通して相手が輝けるようにし、
それによって自分が一層幸せになり明るく輝けた大切な時間だった。
道に迷いさまよっている旅人の道しるべとなる北極星のように、
私たちが5泊6日の日程を無事に終えることができたのは、
お互いがお互いを手伝う一番明るく輝く星のような存在になったおかげたと思う。

5泊6日の間私が感じた感情をここに全て書くことはできないが、
私にとってASIA TRYの記憶は一生忘れられないものであり、
まだその時のことを思い返すと心の震えを感じる。
大切な人々と出会うことができた契機であり、
温かい感情を通わせることができた機会だった。
この胸にこみ上げてくる感情を文章で表現することが難しいくらいに。

私達が5泊6日の間、
大した事故もなく無事に過ごすことができた理由は
各自がお互いを明るく輝けるよう光を与える星になれたからだったということを
強調してこの文章を終えたい。

空気の中には思い出という元素も一緒に入っているということがはっきりとわかった。
深呼吸をすると胸がキュンとするあの時の懐かしさ…。
トライが終わってから一ヶ月あまりが経ち、
日常に返って変わりのない生活をしているが、
今でも“tryさいこう”、“だいじょうぶ”という言葉が耳元で響いている。みんな会いたいな…。


キム・ユギョム(韓国)
TRYが始まる前日、正立会館にアジア各国から参加者が集まり次の日からのために備えた。
そこで色々な障害を持つ人々に会ったのだが、
果たしてTRYを無事に終えることができるかという考えがよぎった。

8月28日11時、出発宣言と共に TRYが始まった。
国会議事堂を出発したTRY参加者達は徒歩でソウル駅広場まで移動した後、
各自コース別に分かれた。

私は仁川(インチョン)コースと書かれている旗が立っている場所に行き、
6日間一緒に歩く人々と初めて顔を合わせた。

仁川チームは地下鉄で移動するためにソウル駅のエレベーターで地下階に下りて行ったが、
他にも地下鉄を利用するチームが多く、
車いすを使っている参加者中何人かはエスカレーターで移動する姿が見えた。

普段は介助者として活動しているため車いすには慣れていたつもりだったが、
車いすでエスカレーターを使うのは初めて見たので少し心配もした。新しい経験だった。

仁川に向かう地下鉄の中では知っている短い日本語や英語を全部使って
他のメンバー達と簡単な話をしていたのだが、
同じ地下鉄に乗り合わせていた市民から
「何をしてるのか?」
「ボランティア活動のようなものか?」などの質問を受け、
予想より多くの関心を感じた。

このような人々の反応を見ていると障害者やボランティア活動、
社会福祉への関心が全くないわけではないんだということを感じたが、
その時「あっ!」と、
事前オリエンテーションの時に聞いたTRYの目的と意味を思い出した。

「TRYとは、障害を持っていても障害のない人と同じように
社会にいくらでも出ていって生活できるということを伝えていくことであり、
それによって段々と人々の認識や社会制度を変え、
障害者も健常者も共に生きていくことができる社会を作っていかなければならない。」
という言葉が頭に浮かんだ。

人々が興味を示したり、質問したりしてくるのを見ると、
このイベントをすることで大きな社会の変化が起こらなかったとしても、
障害者が道を堂々と歩き、
地下鉄やバスなどの交通手段を利用する姿が人々の目に入ることで
一人一人の考え方が変わっていけば、
いつか社会全体が変わっていくだろうと思った。

仁川駅に到着して休憩した後、また歩き始めた。
船に乗るためにウォルミド船着場まで歩いて行く間、
のりこさんという日本人女性参加者の車いすを押しながらたくさんの話をした。

もちろん日本語がそんなにできないので、
のりこさんの質問に的外れな答えをしてしまうことも多く彼女は大笑いしていた。

ヨンジョンドに到着し、宿泊場所へと移動する途中、
ある日本人参加者の電動車いすのバッテリーがなくなり、
上り坂でお互い汗をかきながら助け合ってなんとか無事宿所に到着した。
皆、到着時間が遅くなったためか大部分の人が早く寝ていた。

次の日、一緒に助け合いながら過ごしたからか、
始まってまだ一日しかたっていないのに昨日とは違って
参加者同士のぎこちなさがほとんどなくなっていた。

次の目的地であるジャンボンドを目指してまた船に乗り、歩き、二日目の宿所に到着した。
前日は長い一日であったため省いてしまった自己紹介を
日本語、英語、韓国語を混ぜて照れながらも簡単にした。

宿所では島の景色を見ながら辛ラーメンで夕食を取り、皆で話をして過ごした。
ジャンボンドで一泊して再び仁川市内に戻ってきた私達は、
市内にあるケヤン障害者自立生活センターを訪問し、
次の日、一緒に障害者に対する認識を変えるためのキャンペーンをしようと計画した。

約束の次の日、ケヤン区役所を訪ね、
自立生活センターのメンバー達がそれまでまとめてきたケヤン区の
バリアフリー調査報告書を提出した後、
近隣の大型ショッピングセンターの前で障害者の権利を訴えるために、
日本人参加者・マレーシア参加者と一緒に韓国語で練習した
「私達も地域で暮らすことができる!」という掛け声を何時間も叫んだ。

掛け声をかけ、チラシを配りながら、ブチョン市障害者福祉館へと向かったのだが、
そこまでの道がとても危険だった。
道も細い上に路上駐車してある車が多く、道路の端を移動して行ったのだが、
健常者でも危なく大変なのに障害者はどんなに移動しにくいだろうかと思った。

道が悪い場所を通り過ぎ、福祉館に到着した後、初めて焼肉パーティーを開いた。
一時間ほどをかけ、車いすで入れて約40名が一緒に食事できる空間を探し、
皆で韓国のサムギョプサル(豚の三枚肉)をほおばって、宿所に帰った。

ソウル市内に入る日、雨が降ってきた。
雨は午後になっても止まず、ソウル市との境を越えた所で
デパートに入って休憩を取っていたのだが、
そのとき韓国人参加者のキョンウという仲間が救急車で病院に運ばれて行った。
キョンウは熱が高くなり、
これ以上は一緒に歩けないらしいという連絡がしばらくして入ってきた。
あと一日しか残っていないのにそんな状況になってしまって残念だったし、
もっと気を配ってあげられなかったことに後悔した。本人もどんなに悔しかっただろうか…。

キョンウを残して、最後の晩の宿所に向かう途中道に迷い、
計画よりかなり長い距離を歩いて目的地に到着した。
その日の宿所は前もって決めていなかったので、悩んだ末に野宿をしようかと考えたが、
‘意志があるところに道はある’という諺どおりなのか、
運良く最終的に宿所を見つけることができ、短かかったが休むことができた。

最終日、仁川コースのメンバー達は寝不足で疲れたという感じよりも
最終日だということやこのイベントを無事にやり遂げたという自信からか、
顔が明るく、少しずつ気分が高まっているように感じた。

仁川コースは集合場所である東大門の五間水橋に一番最後に到着したが、
先に到着していた他のコースのメンバー達が迎えに出てきてくれた。
迎えの人々が見えてくると、メンバー達は歓声を上げて挨拶をする人もいれば、
感激や嬉しさの涙を流す人もいた。

私もやはり、参加者が皆無事に到着したのを見て嬉しさと感動でいっぱいになった。
全参加者が集合し、清渓川広場で閉幕式を行い、
配られたペットボトルの水で、ゴールを祝うために周りの人々と水をかけあった。
水をかけられても嫌な顔をする人もなく、笑ってお互いを祝い、励ましあった。

おそらく、この瞬間でTRY期間中の疲労を忘れ、
障害者も健常者も苦労しながらお互いに積もっていた色々な感情を洗い流されただろう。
この場面はTRYの中で最も感慨深く、これからも一生忘れないだろう瞬間になった。

一週間の間、各国の参加者と共に電車やバス、船などの交通手段を使いながら旅してみて、
考えていたよりも食堂や歩道など、障害者が使いにくい場所が多く、
自分が行きたいと思う場所に自由に行くためには
健常者よりも多くの時間と努力が必要とされることに気づいた。

TRYのようなイベントを通して多くの人々に
障害者も健常者と同じように外に自由に出ながら生活できるんだということを伝え、
このような認識が段々と広まり人々の考えや社会制度を変えることができたらと思う。

いつどこでまた TRYが開かれるがわからないが、
次回 TRYがあればまた参加したいし、
周囲の人々の認識を変えるために努力したい。
TRYの精神が一日でも早く広まり、「 TRY〜 TRY〜」ではなく、
「We done〜」という掛け声が聞こえたらと思う。


ジョ・ギュファ(韓国)
8月28日!!!ついに出発の日がやって来た。
俺みたいな田舎者が出世したもんだ。
話でしか聞いたことのない国会議事堂まで来て、
テレビの中だけで見たことのある国会議員が演説するのを生で聞く日が来るなんて。

来賓たちのあまり面白くないありふれた挨拶が終わり、
ついに本当にTRYが始まった。胸が躍るような気分だった。

200名余りの参加者がソウル市内を横切り漢江の橋にまでかかる長い列を作って歩き始めた。
歩く人、車いすを使っている人…、壮観だ…、警察に先導までしてもらって…。
ところでソウル駅まであとどれくらいだ?? 
日差しは強く、アスファルトの熱気は我慢できないくらい熱い。
車いすを死ぬほど押してもソウル駅は見えず、体力は底をついてくるようだった。
もう辞めて家に帰りたいと思ったその時ついにソウル駅が見えてきた。
今考えてみてもTRY5泊6日間の中で一番きつい日だった。
本当にもう死ぬかと思ったころソウル駅前広場に到着した。
そして昼食の弁当を食べる時間もあまり取れないまま、
電車に乗り遅れないようその場を出発しなければならなかった。

俺が所属していた陽平(ヤンピョン)チームには
日本人男性6名、韓国人男性4名、韓国人女性3名の全部で13名が参加していた。
9つのコース中、最もメンバーが少なく、また距離が一番短いコースでもあった。

出発地の陽平に向かうことになったが、
一人で行ってもよく分からないのに案内人もつけずしかも皆初めて行く場所ということで、
更に言葉も通じない日本から来たメンバー達を引っ張っていくことが、とても不安だった。
その上、もし主催者側の配慮や駅員たちの協力がなかったら
陽平チームは希望を持つこともできないまま、
どこかそのへんの乗り換え駅でばらばらになって
5泊6日間お互いを探して道に迷ったままTRYを終えているかもしれなかった。
どうにかして無事に電車に乗り込み、
日が沈みかけた午後7時になってようやく陽平駅に到着することができた。

前もって迎えに来ていた警察の先導を受けながら、
一日目の宿泊場所である陽平市民会館に到着したのだったが、
その日の寝床になる室内体育館がいつもと違ってどこか寂しく見える気がした。
寝ている時、蚊取り線香の煙が原因で火災探知機が鳴ってびっくりし、飛び起きた。
翌朝起きてみると横でおばさま方のエアロビクス講習が始まっていた。

二日目
それなりに早起きをし、キムパプ(韓国海苔巻き)とおでんの汁で朝食を取り出発…。
天気が良くない。日が差していないので、かえって歩くのには良さそうだ。
歩き始めてからあまりたたないうちに雨が降り始めた。
前もって雨具を準備していなかったらひどい目に会っていたはずだ。

シフン自立生活センターの所長は雨具を持っておらず、
そのまま雨に打たれながら歩いていた。
途中、ゴミ捨て場で半分壊れた傘を拾って使っていた。
その姿は笑えもしたし、またかわいそうな感じもした。
チームのメンバー達皆が雨に打たれている姿はとても哀れに見えた。
車いすを使うようになってから初めて雨に打たれた。
以外にも爽やかな気分だった。

日本のメンバー達は車いす用の雨具を持っており、うらやましくも思った。
韓国にはいつそんなものが登場するだろうか…。

コースはやっぱり短かった。
春川コースは30km以上歩いたらしいというのに、
こちらはせいぜい15kmくらい歩いた程度だった。
コースを下見した自分としては明日がもっと心配だった。
明日は12kmしか距離がないのに…。とにかく雨も降っているので行く所もなく心配だ。
宿所であるククス出張所は公務員たちの勤務時間が終わった後にしか入れないのだが、
時間はもう少しで午後1時というところだった。

運良く地域の教会で休憩を取ることができた。
熱いお湯でシャワーを浴びることができ、
新しい建物だったので障害者用トイレといい、シャワー室といい、
並のホテルよりも設備が良いくらいだった。
宿泊もここでできたらいいのにと密かに残念に思いながら、出
張所に向けて再び歩き出した。
到着した出張所では分厚い敷物を用意してくれたお陰で寝る時に体を楽にできた。

三日目
前の晩、出張所側に交渉しておいたお陰で食堂には即席のスロープが取り付けられていた。
合板を使って急いで作られたものだったので危なくもあったし怖くもあったが、
それでもスロープがなければまたキムパプで済ませなければならないところだった。
韓国ではいつ移動権の自由が実現するのだろうか。

今日も前もって警察が出てきており道案内もしてくれて、
スピードを上げて走行する車から保護してくれた。
警察の協力を受けず自分達だけで歩くには危険だった。

悩むところだ。
今日は昨日よりも更に早く予定の距離を歩いてしまうだろうに何をして時間を潰そうか。
幸いヤンスリという地域が観光地であったため時間を潰せる所があった。
自然公園に立ち寄り、
その日の宿所であるヤンス出張所に入る時間まで地域内を巡った。
TRYとは挑戦であり障害者運動であるというが、挑戦という意味は薄くなり、
日本人メンバー達と一緒に夕食のメニューを考える‘観光’に近いものになっているような感じがした。
今となっては日本から来た友人達との壁もほとんどなくなっていた。
自由に会話ができるわけではないが、英語・日本語・韓国語・会話の本、
そして万国共通のボディランゲージまで混ぜて話をすれば
不思議とお互いの気持ちは通じ、とりとめもない冗談で笑い合ったりもできた。

四日目
朝から日差しが明るく照りつけ、かなり暑くなりそうだった。
今日はヤンスリから河南(ハナム)まで一番長い区間を歩き、
また危ない区間でもあるので心配だ。
暑いのでしばしば休憩しようと予定時間が遅れ、陽平との境界線を過ぎると、
管轄地域の違いを言い訳に包囲していた警察もいなくなった。

昼食を取るのに適当な場所がなく、
午後3時が過ぎた頃ようやくククス(韓国のうどんのような麺)屋を見つけて入ることができた。
皆疲れていて大変そうであったがお互いの壁は完全になくなり、
日本のメンバーが韓国メンバーの車いすを自然に押したりしながら、気持ちを一つにした。

午後6時過ぎにやっと河南市デイケアセンターに到着したが、
そこの職員たちが前もって間食やら入浴用のお湯やら全ての準備を整えて出迎えてくれた。
エアコンまでつけてあり、ホテルより待遇が良いくらいだった。
夕食は地下の食堂で日本のメンバー達のために韓国側で準備しようということになった。
メニューは辛ラーメンとインスタントの白いご飯で、
韓国ならではの辛い物というのを経験してもらわねばという一念から、
こちらで一方的に決めたメニューだった。
皆、辛いと言いながらも腹が減っているのか良く食べてくれた…。
(五、六日目の日程は著者の個人的事情により省略。)


ジョン・テヨン(韓国)
TRYは自分だけでなく、
参加者全員にとってとても特別なものだっただろうと信じている。
挑戦するという意味以外にも、TRY期間中多くのことを感じた。
9つのコースが、5泊6日間それぞれの色を作りながら歩いた。

一日目の晩、
午後11時過ぎに私は撮影のため春川(チュンチョン)チームの宿所に到着した。
日本と韓国の参加者で構成されていた春川チームの雰囲気は、
穏やかな一方で現実的な問題として言葉の壁を強く感じた。

車いすでアクセスがしやすい食堂がなく、
近くにあるタッカルビ(鶏肉の辛い炒め物)の店で食事をしていた。
車いす一台が入るか入らないかの狭いエレベーターで
建物の2階に上がり食事をしていたが、皆楽しそうだった。

次の日、私は陽平(ヤンピョン)と利川(イチョン)、
そして文山(ムンサン)チームを訪ねた。
陽平コースは他のコースに比べ距離が短い方であるためか、
余裕がある感じで、皆冗談を言い合っていて、
前日よりメンバー達が親しくなっていた。少しだけ同行して、
すぐに利川チームを訪問しに行った。

利川コースを探すのにはずいぶん時間がかかった。
カーナビがないということもあったが、宿所の正確な位置がわからず、
同じ場所を3回もぐるぐるした後にようやく会うことができた。

利川チームに会った時、大雨が降っていた。皆雨具を身に着けて歩いていた。
親しい人がメンバー中にいたので、冗談を言い合い、話をしながら同行して歩いた。
休憩所で出前を取って食事をする間、メンバー達は写真を撮ったり話をしたり、大騒ぎだった。

メンバーの中には聴覚障害者がいたので手話で話をした。
この時から私を「しんごちゃん」と呼ぶ人が出てきた。
沖田さんと小谷さんがつけてくれたニックネームだった。
食事が終わると雨は小康状態だった。そして2時間ほど一緒に歩いた。

ここで日本手話と韓国手話の違い、作られた過程について聞くことができ、
一緒に手話で話をしながら歩いた。他のコースとは違い警察の先導もなくメンバー達だけで歩いた。

文山チームを探して3時間ほど道に迷ったあげく、ついに到着した。
到着した時には食事をしている最中だった。
パジュ障害者福祉館で歓迎を受けた話を聞いた。
写真を見ると、とても盛大な歓迎だったようだ。

食事後、宿所に帰る道には台湾、日本、韓国の旗が掛けられていた。
宿所で私は他のチームの映像を見せた。

夜も更け、皆が眠る準備をする間、台湾から来たリンさんと話をした。
20代半ばのリンさんは日本で自立生活について研修を受け、
台湾で自立生活センターを作ってまだ間もないと話していた。

日本人が二人、外で寝ていた。なぜ外で寝ているのか疑問に思った。
次の朝、彼らがなぜ外で寝ていたのか理由を聞けた。
彼らは、「自分が考えているTRYというのは、施設で統制を受けることではなく、
自分の意志で野宿をしてみたり苦労をしてみたりすることで、
誰からも縛られることなく自分の選択に何よりも重きをおくことだ」と話していた。
その話を聞いて、それもそうだと思った。

福祉館から出発するため外に出るとびっくりしてしまった。
施設の職員と障害者達が私達を見送るため全員外に出てきていたのだった。
拍手喝采で見送ってくれるのを見ながら、
自分達は別にそんなすごい人達ではないのにと思った。

外に出て皆で会議をした。はたさんや日本のメンバー達が意見を出し、
「今からは別々に歩く」と言った。
自分達が思っていたTRYとは全然違う、自分達が知っているTRYとは野宿をしたり、
社会の認識を変えるためにアピールしながら歩くことだということだった。

しかし、韓国側からは
「別々に歩くというのは良くないんじゃないか」という意見が出された。
そして決められている宿所は全てキャンセルし、
予定を決めずに歩こうと話になった。皆これに同意をして歩き始めた。

私は介助の仕事をしながら
障害当事者の選択と責任が重要だということを学んだが、
TRYにおいてもやはり当事者の選択が
尊重されなければならないということを感じた。

韓国の障害者は、
親や健常者が決めた場所と規則の中で生きていくものだという
固定観念の中にいるということが見えた。

文山チームのメンバー達は残りの期間で野宿もし、
決められた道を行くのではなく、人生を開拓するTRYとして時間を投資した。

私は2泊3日間文山チームに同行した後、水原チームを訪問するため移動した。
水原チームは人工呼吸器を使用する障害者が参加していたので、
また別の期待をしつつ向かった。

到着してみると、水原チームは他のチームに比べてとても静かな雰囲気だった。
ここでもまた雨が降る中歩き始めた。
それでもとても静かだったので冗談を言ってみた。
すると皆その冗談に反応し、「トライ、ファイティン」とかけ声もかけ始めた。

夕方、ソウル市竜山(ヨンサン)にある病院に移動し、
そこで烏山(オサン)チーム、天安(チョナン)チームと合流した。
3つのチームのメンバー達は再会してとても嬉しそうであり、
お互いに抱き合って喜んでいた。

最終日前日ということもあるのか、
皆元気そうで各チームで感じたことをお互いに話そうと大忙しだった。
その後食事をし、宿所へと移動した。
福祉館の前で野宿する人は玄関前で野宿し、
一部の人はチムジルバン(韓国式サウナ)を探しに行った。
「この近所にはチムジルバンはないから、遠くまで歩いていかなきゃいけない」と私が言うと、
良知さんは「今はトライでしょ!」という一言残し去っていった。
そうだ、今は挑戦する時間だったなと思い出し、私は笑った。

最終日の朝、私は仁川チームを訪ねた。
仁川チームは、前日夜中の2時まで歩いたからか元気がないように見えた。
しかしTRYを楽しんでいた。
私は時間に遅れそうだったので先に全参加者の集合場所に向かった。
着いてみると、そこにはすでに利川、文山チームが到着しており、
他のチームも次々と到着し、その度に嬉しそうに皆で抱き合って喜んだ。

最後に仁川チームが到着すると、清渓川に沿って全員で歩いた。
歩きながら交代で掛け声をかけ、チラシを配り、祭りのような雰囲気だった。
清渓川に到着し、ゴールした喜びを皆で共有していた。
涙を浮かべている人もいた。
5泊6日間、短い時間だったが、
そんな風にお互いに抱き合って泣けるくらい心を開けるようになっていた。
お互い違う国に住み、言葉の壁や文化の違いがあるにも関わらず、
ただ一緒に歩いただけでそんな風に親しくなれるというのは、私達の中に心があるということだ。

野宿する覚悟で障害者の意思決定を尊重する心。
雨が降っても歩き続ける心。
挑戦を恐れることなくしようとする心。
大変な時ほどお互いに温かい笑顔で励ましながら歩いた心。

これまでしたくてもできなかったであろう障害者の挑戦、
私達は違う世界に生きているのではなく一緒に存在しており、
彼らと私達は考えも思いも同じだということ。熱い心を持っているということ。

TRYはただ単に歩けばいいのではなく、
自分で選択することができるという、
私達が追求してきた自由な人生のために共有してきた思いのようだった。
今度TRYが開かれるのなら私はまた参加したい。その思いを共有したいから。
皆さんお疲れ様でした。


ソン・ギピョ(韓国)
コースの下見が終わり、
日本側の代表団が8月に韓国を訪問して帰った時点で各コースが確定し、
私はサバイバルコースと言われた天安(チョナン)コースを選んだ。

その他のコースは宿泊場所や一日に歩く距離などが前もって計画されていたが、
天安コースは何も決められていない純粋なサバイバルコースだった。

ASIA TRYの目的は障害者に対する社会の認識を変えることと、
重度障害者でもできるということを人々に知らせること、

そして重度障害者自身、自分がやり遂げたという自信をつける、ということだったが、
私も個人的な目標を持っていた。
野宿しながら自分の力で歩くことで志を新たにし、新しい挑戦をしようとすることだった。

さあ、始まった。ASIA TRY スタート!
国会議事堂での開幕式の間、
私は日本から来たある障害者メンバーの車いすを修理していた。
パンクしてしまったタイヤを交換するため車いすと格闘していた。

参加者達は国会議事堂で列を組み、
暑い日差しの下、「ASIA TRY ファイティン!」という掛け声と共に
第一日目のコースであるソウル駅までの道のりを歩き始めた。

ソウル駅では各コース別に別れた。
天安コースのメンバーは10名。
電動車いすに乗った障害者2名、その他7名、運転手1名だった。
大声で名前を確認しながらその場に集まったメンバー達からはぎこちなさと緊張が漂っていた。
地下鉄を利用して天安駅に到着した時には午後8時を過ぎており、
真っ暗な中寝られる場所を探すというミニトライが始まった。

幸い道に迷うこともなく、すぐに宿所を見つけることができた。
夕食を食べながら下手な日本語、英語、電子辞書まで出して、
身振り手振りでお互いに挨拶をし、
地図を出して次の日からソウルまでどうやって行くか計画を立てた。

当面の目標は二日後に烏山(オサン)コースと合流すること!!
現時点での距離の差は約60kmだ。一日に約30kmを歩かなければならない計算だ…。

夜が明けた。まだ朝の7時半。いつ雨が降り出してもおかしくない天気。
急いで歩かなければ。
私達は初めから険しい場所を進まなければならなかった。

歩くのは国道1号線、とにかく歩き始めた。
自動車専用道路なので気をつけながら信号に従って歩いた。
無理な挑戦だとはわかっているが、
ただひたすら自分達の目標を達成するためにそうするほかなかった。

人々の視線を浴びながら高架道路から降ると安堵感からため息が出た。
歩き始めて間もなくして雨が降ってきた。
急いで後方についている伴走車と連絡を取り、雨具を車から出して身につけた。
その時面白い事が起こった。
雨具を持っていなかった日本人メンバーが近くにある店に入り、
身振り手振りで店員と話し、ビニールを何枚かもらい、それで頭と体を覆い始めた。
その姿を見て私達はひとしきり大笑いし、そのまま大雨を突破しながら歩き始めた。
歩きながらもずっとメンバー同士で挨拶をしたりお互いを知るために意思疎通を図った。

靴が濡れて重くなり始めた頃、朝食を取るため、
車いすでのアクセスが良い店はないかと探した。
もはや空腹を満たすために食事をするのではなかった。力を出すためだった。

遅い朝食だったが、メンバー達の顔は笑顔で明るく、
食事をしながらもその食堂に入ってきた客達に自分達がしていることについてチラシを配り、
説明しながら雨で冷たくなった体を温めて再び歩くための準備をした。

どれくらい歩いただろうか、
雨が少しずつ止み始め、
休憩するため道端にある園頭幕(畑などの番小屋)で立ち止まった。
水とパンを分け合って食べているその時、
園頭幕の横に巨峰が生っているのが見えた。
おもむろにその巨峰をもぎ取り、誰か見ていないかと多少びくびくもしたが、
甘くておいしく、皆嬉しそうに口に運んだ。道端に生っていた梨も私達の間食となった。

歩いている最中にも通りすがりの人が餅をくれたり、
郵便配達のおじさんが果物を分けてくれたお陰で楽しくTRYをしていた。

午後3時頃だったか、
休憩を兼ねて次の予定を議論するため話し合っていた時だった。
黒い高級車が立ち止まり、女性が一人降りてきた。
道でも聞きたいのかと思ったが、
その女性に対応したメンバーが驚いた顔をして走ってきた。
聞けば、その女性は私達に後援という形で何かしたいのだが
何をどれくらいすればいいかということだった。
女性は現金で10万ウォンを支援したいと言った。
丁重に断ったが、女性は近づいて来て10万ウォンを握らせ悠々と去って言った。

遠ざかっていく車を見ながらお礼の意味で会釈したが、
一方ではこの金をどうやって使うかについて議論が始まった。
結論として、そのお金は歩いて消耗する体力を補うために使うことにし、また歩き始めた。

その日の夕食はサムギョプサル(豚の三枚肉)と焼酎。
「くは〜っ」と一杯やっていた所へ、運がついている日なのか、
焼肉屋のおかみさんがジュースをサービスしてくれた。
満腹になった私達は気合いを入れて目標地点を目指して歩いた。

その日の寝床はソジョンリ駅の休憩室だった。
駅長にお礼の挨拶をして荷物をほどき始めた時、駅構内が真っ暗になった。
この駅は夜12時30分を過ぎると全ての電気が消え、
朝5時には電気がつくということだった。
外で冷たい風を受けながら寝るよりはましだと思ったが、
朝5時に電気が点くと人々の話し声と明るさで起こされてしまった。

幸い雨は降っておらず、太陽が眩しく昇り始め、暑い天気で皆力なく歩いていた。
気分転換でもするかのように道端で折れた釣竿を拾い、
日本から持ってきたのぼりにつけて電動車いすに一つずつくくりつけ、
目標に向かって歩き続けた。
烏山コースとの合流も夜遅くまで無理して歩けばその日のうちに実現しそうな距離まで来ていた。

そうして歩いている時、
電動車いす一台のバッテリーが消耗し、充電が必要だという警報がなった。
この状態で歩くのをやめたとしても、
その場で食事をする場所や寝床を見つけるには微妙な場所で時間もまだ早かった。

そこで私達は会議を開いた。
食堂や寝床ぐらいは探しに行けるが烏山コースとの合流地点までは車いすがもたないだろう。
話し合いの結果、
電動で行ける所まで行き、その先は手動に切り替えて進む。
但し、時間を決め、その時間までに合流地点に到着できなかった場合は
寝床を決めるということで合意した。
しかし、再び出発してあまり進まないうちにバッテリーがなくなり電動が止まってしまった。
手動に切り替えて、途中綱を購入し車いすにくくりつけて、
一人が引っ張り、二人が後ろから車いすを押して合流地点まで行った。
烏山コースより天安コースの方が先に到着した。

烏山コースと携帯電話で連絡を取りながら一時間以上待った頃、連絡が入った。
烏山コースは私達がいる場所から5kmほど離れた所に宿所を確保したということだった。
そこまで歩いて行くのは無理だと思った。
私達が一日で歩いた距離は30kmをすでに越えており、
最後には電動車いすを押しながら歩いてきた状態だったので
更に難しいのではないかと思い会議を開いた。結果は無理だということだった。
疲労が溜まっている体を起こして食事をする場所を探した。
簡単に場所は見つかり、お疲れ様と焼酎を一杯やりながら話し合いが始まった。
楽しく歩き、大変でもお互いを支えながら歩いてきたと思ったのに、
酒の席で話をしてみるとお互い持っている目標が違うということ、
心が一つになっていないということに気づいてしまった。

意思疎通が十分にできない英語、日本語、身振り手振りだけでは
お互いの誤解を解くのは難しかった。
一人一人が心の中で理解するしかなかった。
焼酎一杯でもう一度乾杯して誤解をしまい込み、
また頑張ろうと互いに誓って宿所に向かった。
幸いこの日は近所の教会で寝床が確保でき、
温かいお湯で体を洗い流し、楽に眠ることができた。

翌日は出発を遅くした。
それまでの二日間でソウルまでの半分以上を歩いたため、ゆっくり出発することにしたのだった。
烏山コースとは連絡を取りながら距離を縮めていった。
午前11時頃、ついに合流した。お互いに嬉しさで歓声を上げ、抱き合い、笑顔で再会した。
私達の第一の目標が達成された瞬間だった。

烏山チームと合流するとメンバー達には一段と活気が増した。
通りすがりの道に、ある施設があった。
施設の中から車いすに乗った重度障害者がひとり、私達の方を見ていた。
「一緒に歩きませんか」と声をかけたがなかなかうなずかない。
私達はなぜ歩いているのかその理由と目的を説明した。
その施設に立ち寄るとラーメンを作ってくれたので、
アジア各国の参加者と共に食べ、しばらく休憩をした。

この出来事で、施設で暮らす障害者と
地域社会で暮らす障害者の人生はまるで違うということを実感し、
一緒に歩くことができずとても残念に思った。

午後6時頃だったか。ソウル市内に入る境界地点である果川(カチョン)市で
その日は泊まることにした。宿所はサウナ。
烏山コースと天安チームが一緒になった人数では、
そんなに簡単に宿泊場所が決まらなかったが、
これまで寝床としてきた駅や教会よりは暖かい場所で横になることができ、快適に眠れた。

さあ、TRYもあと二日を残すばかりだ。
果川市からソウル市に入るためには非常に長い坂道を越えていかなければならなかった。
故障した電動車いすを二人の人が押し、
のぼりを持っている人は「ファイティン」と掛け声をかけ、
お互いを励まし続けながら一生懸命坂道を登った。

ついにソウル市で到達した。
ソウル市へ入った時はさすがに涙し抱き合いながら喜んだ。
しばらくして水原(スウォン)コースとの合流も実現した。
久しぶりに再会すると、お互いにこれまでお疲れ様と励まし合った。

3つのチームが合流した私達は更なるパワーを発しているようだった。
最後の夜であったが、
この大人数で入れるような宿泊場所を確保するのは難しく、
あちらこちらと別れて泊まることになった。

私は中で大部分の参加者が休んでいる福祉館の前の歩道で野宿をした。
他のコースを歩いてきた韓国人メンバー達と話をしながら寝袋に入ったのだが、
疲れのためか皆一人、二人と倒れるように眠ってしまった。

朝、日が高くなるのを見ながら光化門(カンファムン)を通り越し、
清渓川(チョンゲチョン)に沿って歩いて全参加者の集結場所まで歩いた。
すでに何組かのチームが集まっており、記念撮影をしたり談笑している姿が見えた。

私達もまだ到着していないチームを出迎えるために広場の入口に集まって、
後に続いて入ってくるメンバー達を歓声で迎えた。

このようにして私達のTRYは終わった。
過ぎ去ってみるとまるで夢のように、
映画のワンシーンのように流れていった日々だった。

個人的には、TRYが終わるのと共に、
始まる前に悩んでいたことが全て整理されていくようであったし、
次回のTRYが楽しみになった。

今回のTRYを振り返ると、
進行状況や準備過程ははじめから決して完璧とは言えなかった。
私達の人生もやっぱりそんなように思う。
障害があってもなくても、
社会を生きていく上で完璧な人生でなくても、
自分なりに楽しみながら、時には辛い事を乗り越えて、
またひとつ成長できるものだし、夢を持てるのではないかと思う。


ナム・ミン(韓国)
実行委員になった契機
初めて‘2007ASIA TRY’のことを聞いた時は簡単にできるものと考えていた。
時々運動を兼ねてマラソン大会に参加し、
5kmから長くて10kmほどを完走したことがある自分としては
6泊7日間の日程で100kmを歩くのは大変だなあとは思ったが、
また一方では自分自身を鍛えることができる一つの挑戦として単に考えていた。

大学を卒業したばかりで何もしていなかった僕が2007ASIA TRYを準備する機会を得た。
韓国側の実行委員会が2007年3月21日の日韓実行委員会を通して発足し、
実行委員長を選出することになったが、
2007ASIA TRYの趣旨は障害者が中心となって社会を変えるための
運動であるという点から実行委員長は障害当事者がなるべきだという提案がされた。

運良く第1回実行委員会会議に参加していた僕は実行委員長に立候補することができ、
もう一人聴覚障害を持つヒョミンも立候補をしたが、
結果として、僕は実行委員長として、ヒョミンは副委員長として活動することになった。

僕が実行委員長になった理由は、
ただ単に当時プー太郎で時間が有り余っていたからというわけではない。
成し遂げた分だけ自分が成長できると思ったから立候補したのだし、
これまで学生時代に学級委員長でさえ一回もやったことがなかった僕は
実行委員長という役割に一層の情熱と責任感を持って臨もうと思った。

大変で辛かった瞬間
毎晩夢の中にもTRYのことが出てくるくらい一生懸命だったが、
現実はそんなに上手くいかなかった。
ソウルCILの方向性と実行委員達の方向性の違いに挟まれ、
僕は中間で上手く調整できないまま一人悩むようになった。

例えば、実行委員会の役割としてソウルCILが望むことは
‘実行力(TRYの準備を具体的に進めていくこと)’であったが、
実行委員達は単に‘アイディアを出す’役割として会議に参加したいということだった。
このような行き違いで、
実行委員会会議で決まった募金活動やコースの下見に参加する実行委員はほとんどおらず、
結果的にセンターの職員だけが動くというエピソードもあった。

更に残念だったことは、
副委員長のヒョミンが辞めると言い出したことだったが、
その理由が僕との誤解から生じたことだった。

彼女は学生生活で忙しいはずだから
TRYの仕事でストレスを溜めないよう最低限の仕事だけを
お願いしようと僕は考えていたのだが、
本人にとってはかえってそれが疎外感を与えていたようだった。

副委員長が辞めてしまうことになり僕は実行委員長としての自信を失い、
また落ち込んで何日間か眠れない夜を過ごしながら実行委員長を辞めようかとも考えた。

しかし、日本に行きメインストリーム協会を訪問して
出会った仲間達とした「TRYを無事に成功させよう」という約束を守ろうと心に決めた。

募金活動を通してのエピソード
しかしやっぱり力不足なのか、
僕はできることが何もない名前だけの実行委員長なのではないかと思った。
こんな僕の考えを変えてくれたのがまさに募金活動だった。

今でも韓国では障害者が街中に出て募金を募っていると物乞いのように思われる。
僕も頭の中にはそういう考えがあったが、
気持ちを新たに、最善を尽くして募金活動に参加した。
募金活動をしていると笑い事では済まされないような出来事もあった。

ある日、新村(シンチョン)駅で募金活動を1時間ほどしていた時、
警察官がやって来てジョンウク(実行委員のメンバー)を指名して
「ちょっと警察に一緒に来い」と言ったのだがどうも雰囲気が良くなかった。

どうして警察に連れて行かれるのか、一緒に行かなければ、
と自分が責任者だから代わりに行くと警察に話した。

するとその警察官は、
「最近健常者が障害者に物乞いをさせて金を稼ぐ詐欺が多く、それと誤解した」と言った。
他の実行委員のメンバー達は僕がどこかに連れて行かれるのではないかと心配したらしく、
僕が皆の元に戻るとウンジン(新しい副委員長)はホッとして泣き出してしまった。

そんなに大変な出来事ではなかったが
僕を信用して待っていてくれた皆を見て胸が熱くなった。
警察官と話している間、募金活動は中断しており、
その日はそんなに募金を多く集められなかったが、
それまで一人で辛いと思い、悩み、傷ついたと考えていた僕に、
この日の体験を通して2007ASIA TRYは自分一人の努力ではできない、
皆で一緒に作っていくものだと気づき深く反省した。

同時に募金活動も同情や施しで集まったお金では決してない、
社会が変わることを願う人々の心が集まったものだと思えるようになり、
こうして結果的に約400万ウォンが集まった。
この金額でネパール、パキスタン、台湾からの参加者達に、
航空券代やまたは自国で自立生活運動を広めるためのTRY準備金として支援することができた。

‘2007 ASIA TRY’を通して得たもの
TRYを通して僕は心に多くのものを得ることができた。
まず、2007 ASIA TRYを通して新しく出会った人々だ。
実行委員会会議を通して新しく出会った人々、
その出会いはTRYが終わった今も続いており、
時々会ってお互いの近況を報告するなど親しくしている。

二つ目は、実行委員長の仕事をすることでたくさんのことを学び、
自分自身を振り返る時間を持てたということだ。
もし僕が辛かった時に途中で辞めて諦めていたら、
自分が臆病者だったという思いが心のどこかでいつまでも消えなかったはずだ。
しかし、大変でも仲間が一緒だと考えて一生懸命やった。

最後に、もし誰かに実行委員長という役割は楽しかったかという質問をされたら、
僕は楽しくなかったと答えるだろう。
実行委員のメンバー達の前では楽しくしている姿を見せようと努力したが、
準備が上手く進まなかったり、
何か問題が起こったりした時にはやはり楽しくはなかった。

僕が本当の楽しさを見つけたのはTRYが始まり、
色々な国から来た人々や韓国内の参加者達と出会い一緒に歩いた時、
そしてその中で今までしたことのない経験(雨に打たれたこと、
トンネル内をくぐり抜け高速道路を歩いたこと、
バリアフリーの問題について提案書を作り利川市長宛に手紙を書いて送ったこと、
生まれて初めてサウナで寝たこと)をした時だった。

次回はどこになるかわからないが機会があればもう一度またTRYに参加したい。
その時は実行委員長ではない一般の参加者として
他の国から来た人々から学び、一緒に楽しさを作っていきたい。


パク・ウンジン(韓国)
ASIA TRYを知ったきっかけ
毎年どこかで一度は行われる、
歩いて国内を巡る大会に学生時代一度は参加してみたかったが
事情により参加したことがありませんでした。
偶然にも‘私達はみな障害者’というインターネットの
コミュニティでASIA TRYについてのPRを見つけました。

初めは、障害者と健常者が集まり一緒に良い思い出を作るために
歩こうというイベントだと思いました。
良い経験になるなと考えた私は、
韓国側実行委員長のナム・ミンさんに会うために
ソウル障害者自立生活センターを訪問しました。
ASIA TRY実行委員として活動を始め、
色々な障害を持つ人々と出会う良い機会だということがわかりました。

「あ!ただ一緒に歩くんじゃなくて、障害者の自立と世の中を変えるために歩くのか。」
積極的に実行委員会会議に参加して多くの障害者に出会いながら、
一緒に話し合い、TRYの準備をしました。
準備をしながら大変で難しい点も多かったのですが、
TRYに積極的に挑戦してみたいという自分の選択で始めたことなので楽しく活動しました。
実行委員会の副委員長も務めることになり、実行委員長を後ろから支え、
手伝いながら忙しく過ごしていた時、ついにASIA TRYが近づいて来ました。

8月28日(国会議事堂‐ヨジュ教会)
各国から多くの参加者が集まる中、コンピューター速記の字幕を
一生懸命追いながら開幕式に参加していた私は
「一回も歩いて旅なんてしたことないのに最後までやり遂げられるかな」と心配になりました。
しかし、「大変で辛いこともあるだろうけど大丈夫、やり遂げられるよ」と
周囲の人が送ってくれた携帯電話のメッセージを見て、
もう一度頑張ろうと思うことができました。
開幕式後、ソウル駅まで歩いたのですが、
思ったよりも長い距離で少し大変でした。
しかし、絶対できるという自信を持って挑戦したので、
無事にソウル駅まで歩き切ることができ、胸が一杯になりました。

チーム別に昼食を取り、私達のコースは東ソウルターミナルまで移動し、
バスに乗ってヨジュに到着。ヨジュ教会で夕食を食べ、
和気あいあいと話をして、明日のために眠りました。

8月29日(ヨジュ教会‐チャンドン2リ公民館)
朝起きてみると雨が降っていました。
ヨジュ教会を出発し、雨具を着たまま一生懸命歩きました。
雨が止まなかったので靴も水浸し、帽子やカッパ、服まで全部びしょびしょになりました。
それでも最後まで最善を尽くしました。
「やっぱり雨が降ると大変だけど、その分やりがいもあるな。」と思いました。

段々痛くなってくる足のせいで辛かったけど、
歩き切った私自身が誇らしかったです。
そして夜にはインタビューを受けた後、遅くまで日本の人達と話をしました。
時間はあっという間に過ぎていき、寝たのは真夜中…。

8月30日(チャンドン2リ公民館‐ゴンジアム教会)
朝出発前に、前日会議で話した事を何点か手紙に書いて、
他のメンバー達と共に利川(イチョン)市市役所に渡しました。
団体写真を撮った後、この日の目的地に向けて移動を始めました。
足の痛みを我慢しながら一生懸命歩いていたのですが、
「そんなに無理しないで少しの間車に乗ったら」と
ナム・ミンさんが言ってくれたので少し車に乗ることにしました。
車の中から歩いているメンバー達を眺めていました。
「早く良くなって歩きたい…。」

ゴンジアムバスターミナル前に到着した私達は小さなイベントをしました。
‘障害者の自立と社会を変えるために歩きます’という意味のプラカードを掲げ、
大声で市民に訴えたりもしました。

小さなイベントを終えてゴンジアム教会へと移動したのですが、
夕食にはポリパプ(麦ご飯を野菜などに包んで食べるもの)をおいしく食べ、
みんなで話をした後眠りにつきました。

8月31日(ゴンジアム教会‐ソマンリハビリテーションセンター)
朝早くから歩き、足の痛みでもう辞めたかったですが、あきらめたくないと思いました。
一番の難関であるトンネルが2つあり、
また勾配のある道が多くて大変だったので、
お互い交代しながら車いすを押して助け合い、
最後まで最善を尽くしました。
お互いの協力があったからこそ、
無事にその日の宿所であるソマンリハビリテーションセンターに到着できました。
センターの人々と交流しながら楽しい時間を過ごしました。
「とっても大変でした。でも皆が手伝ってくれたお陰で無事に最後まで歩くことができ、
そんな自分が誇らしいです。」と心の中で大声で叫びました。

9月1日(ソマンリハビリテーションセンター‐東大門)
朝から大雨が降っていました。
雨具を着て歩かなければならず、面倒だなと思いましたが、
最後まで頑張らなくちゃと自分に言い聞かせました。
‘できる’という自信を持って歩き続けました。
濡れた靴を履いて歩く気分はそんなに良いものではありませんでしたが、
最後まで挑戦しようと心はとても楽しい気持ちでした。
しかし天気がどんどん悪くなり、寒くて大変でした。
無事に東大門に到着すると、ロッテリアに入って休み、夕食を食べに行って、サウナに宿泊しました。

9月2日(東大門‐清渓広場)
最終日、「今日はゴールだ、楽しく歩かなくちゃ」という気持ちで歩いたからか、
心がとても軽くなりました。
9つのコースのメンバー達が全員合流して、
皆で歩きながらの出来事を話して共有しました。
ゴールの清渓広場で、バンザイと大声で叫びました。
閉幕式では手話通訳を見ながらたくさんの事を考えました。
「いろんな国から来た人達と一緒に歩いていい本当にいい思い出ができたな。
私自身もすごく変わったし、これからももっといい意味で成長していきたいな。」
参加者全員が無事にゴールした姿を見て、本当に誇らしく思いました。

正立会館へ移動
正立会館に到着し荷物を置いて、
アジア最大合コンに参加して各国の参加者達と楽しい思い出を作りました。
次のTRYにも色々な国の人達と一緒に挑戦したいと思いました。

2007 ASIA TRYは私にとって本当に大切な思い出となりました。
そしてこれからも最後まで最善を尽くせるよう、
人としてもっと成長していきたいです。

障害者の自立と社会を変えるために挑戦するんだということも決して忘れず、
何事にも常に積極的に、
責任を持って生きていく自分になりたいです。
ASIA TRYに関わった全ての皆さん、お疲れ様でした。


パク・ソンジャ(韓国)
大雨が降っても私達が歩くときは止みますように…。
台風が来て豪雨になっても私達が歩く時だけは止んでくれますように…。
そうやってまるで空と約束をしたかのように、
私達が歩くコースでは雨が降り出してもしばらくすると止み、ずっと天気が良かった。

私は最後まで歩くと心に決め、一歩を踏み出した。
もう半分は成功したも同然だと信じた。なぜなら、始めることが大事だから。
私は歩く。歩くために存在するのだ。
歩き始めると終わりなく広がっている道のように、
人生の道も無限に開かれているように見え、
それまで抱えていた悩みも順々に解決していくようだった。

歩きながら世の中を新しい気持ちで眺める時間も持つことができ、
歩くことで心が平和になり、心の目が開かれていくかのようだった。

私は以下のような理由と考えを持って歩いた。
1. 私を愛してくれる人のために歩く。
2. 私自身に勇気という贈り物をするために歩く。
3. 私自身の苦しみに勝つために歩く。
4. 私は障害者の人権と自立のために歩く。
5. 私はもっと良い世の中になるよう道を作るために歩く。
6. 私は、何よりも偏見がない平等な世の中を作るために歩く。

私は以前、所長(パク・チャノ)とこんな話をした。
所長は私にたずねた。「自分の障害が誇らしいと思う?」

私はそれまで自分の障害が誇らしいなどと思ったことは一度もなかった。
しかし、TRYを歩きながら、そして歩き終えた今ここで、私は言うことができる。
自分の障害がどんなに誇らしいものであるかということを…。
毎日が常に変化する私の人生。
変化する私の人生は偉大であり誇らしく、私は私自身を一番褒めてあげたい。


ペク・ジョンミョン(韓国)
2007年8月28日午前10時。
国会議事堂の議員会館ロビーにて
2007ASIA TRYが「進め自立、社会も変われ!」
(韓国側実行委員会が決めた韓国側のスローガン)をスローガンに掲げ、
盛大に開幕した。

国会というあまり身近に感じたことがない空間、
そして国内外から集まった200名余りの参加者でごった返している開幕式会場の空気は、
TRY第一日目をついに迎えた私に緊張感を与えるのに十分だった。

韓国側実行委員としてこれまで数ヶ月間準備してきた私は
今回のイベントが無事に終わることを何よりも願っていたが、
準備が完璧かというとそうとも言えないような感じでもあり、
その時の心境といえばそれはもう複雑で微妙なものであった。

私が歩くコースは
9つのコースの中でも最も短いコースと言われる「水原コース」。

他のコースとは異なってTRY期間中ずっと街の中を歩くことになるコースであり、
建物や道路、交通機関などへのアクセス面においても
それほど困難な場所がないことから重度障害をもつ参加希望者の比率が高いコースであった。

特に、当初から人工呼吸器を使いながら
TRYに参加したいという日本人参加者がいるということで
他のコースよりも早くから注目をあびていた。

水原コースを歩くメンバーの中には2001年に開催された
日韓TRYにも参加経験のある海老原さんもいたのだが、
彼女が今回のTRYが始まる1ヶ月前に3泊4日の日程で訪韓した際、
一緒に水原コースを下見した。

海老原さん自身も人工呼吸器を使用しているため、
重度障害者の立場でコースを色々な角度で見て回って下さり、
そのお陰で準備しながら私たちが気づかなかった点についても補うことができた。

開幕式の後、
200名余りの全参加者が一緒に国会議事堂から
ソウル駅まで力強く歩き始めた。
8月末の残暑が残る日差しの下、ソウル駅まで約7kmの距離を2時間半かけて歩いた。
その時の参加者達の上気した顔は今も忘れることができない。

これから5泊6日の間に経験することになる予想もできない状況に対する不安、
または期待感といったものがそれぞれの表情に表れていたように思う。

参加者たちが群れを成して横断する交差点、自動車は停止線に沿って止まっていた。
その光景を眺めているとまるで時間が止まったような感覚に襲われ、
新鮮な感動と興奮が胸の中を駆け巡った。
今まで出会ったことのない経験。
これからの一週間でもっともっと色々な新しい経験が待っているはずだと確信した。

しばらくしてソウル駅に到着。
国会議事堂からソウル駅まで歩ききり、
参加者たちはTRY最初の挑戦に成功した。
皆ソウル駅に到着した嬉しさで歓声を上げ、
これからの日々を前にお互いに励ましあった。

ソウル駅前で昼食の弁当を食べ終わった後、
200名余りの参加者は各自が選択したコースに分かれた。

他のコースと同様に、
ここで水原コースの参加者たちも初めて自分のコースのメンバーに対面した。
簡単にコースメンバーの名前と人数を確認し、
伴走車に積んだ荷物を確認した後、
私達は水原行きの地下鉄に乗るため駅の構内へ移動した。

メンバーの大部分が車いす使用者だったのでエレベーターを
利用するため移動に少々時間がかかったが、
その待ち時間を利用してお互いに会ったばかりの
緊張感をほぐすため色々な話をしているようだった。

水原行きの地下鉄1号線に乗った参加者たちは
他の乗車客からの視線を一斉に浴びた。

車いすに乗って地下鉄やバスに乗るということ自体が
韓国ではまだまだ注目を浴びる理由になるのかもしれないが、
それが一人ではなく、揃いのTシャツを着た車いすの群れが
同時に地下鉄に乗っているということがあまりにも珍しかったのだろう。
何人かの乗客が参加者たちに「何ごとか」と聞いていた。

水原駅に到着。一日目の宿泊場所である
民主労働組合総連合会京畿支部事務所に向かうために
何日か前から警察に先導してもらえるよう要請していたが、
私たちが駅に到着した時点で迎えに来ているはずのパトカーが見えない。
移動に際し、
必ずしもパトカーに先導してもらわなければいけないのかという疑問が一瞬頭の中をよぎったが、

交通量が多い水原駅前には横断歩道がなく、
道路を渡るためには地下道を通らなければならなかった。
地下道を使うとしても車いすでのアクセスは良くなく、
地上に上がってくるまでに相当時間がかかることが予想された。
参加者たちの顔からは疲労の色がありありと見えたので、
やっぱりパトカーに先導してもらったほうがいいと思い、
一刻も早く宿泊場所に到着することを願った。

こうして当初の計画よりは遅くなってしまったが
予定通り警察に先導してもらい無事にその日の宿所に到着した。
きちんとしたシャワー設備がない一日目の宿所。

しかし参加者たちはTRY一日目の緊張感がやっと解けて安心したのか、
宿所に満足した様子で各自しばらく休憩を取った。

就寝前に私たちは遅い夕食を食べに出かけた。
水原駅前は繁華街なので大人数で利用できる食堂がたくさんあったが、
入口に階段があったりドアの幅が狭かったりして
車いす利用者でも気軽に入れるような場所はほとんどなかった。

30分近く歩きまわって探して、
やっとまあいいだろうと思われる食堂を見つけることができ、
そこで食事をとることにした。
体力を激しく消耗した一日だっただけに皆腹が空いたようで、
その日の夕食はとてもおいしく感じられた。

TRY第2日目の朝が来た。
朝から雨が強く降り始めた。
パンと飲み物で簡単に朝食をとった後、皆出発するための支度をした。
雨具を着なければならず、
また電動車いすの参加者たちは車いすに雨水が入らないように
万全の準備をしなくてはならないため出発時間を
当初の計画より1時間ほど遅らせることになった。

この日も前日同様パトカーに先導してもらいながら歩いた。
雨が降ってはいたものの、
計画された距離を消化するために皆一生懸命歩いた。

そして昼頃、道端にあるガソリンスタンドへ立ち寄り
そこで昼食を取るための場所を借りた。

実は他のガソリンスタンドでも休憩させてほしいと何箇所かで頼んでみたが
営業の妨害になるからと断られ、やっとのことで見つけた所だった。

この日の昼食は出前のジャジャン麺。
ジャジャン麺を初めて食べる外国人参加者たちは
ここで新しい韓国の食文化を体験したというわけだ。

食事を終える頃になると雨が弱まっており、午前中よりも歩きやすい天候になった。
お陰で予想よりも早い時間に2日目の宿泊場所である義旺市デイケアセンターに無事到着した。

ここは障害者が利用しやすいように
構成された施設だっただけに利用する上で問題もなく、
更に施設管理者の方の温かい配慮が加わって快適に一日を締めくくることができた。

TRY3日目、この日もまたパトカーの先導を受けることになった。
TRYが始まってから2日間が過ぎただけなのに
参加者たちは一日のパターンに慣れてきたように見受けられたが、
同時に私は、自分たちが当たり前のように先導しているパトカーの後ろに続いて
ひたすら歩いているだけだということに気がついた。

「進め!自立、社会も変われ」というスローガンを思い出しながら、
自立とは何かその意味をもう一度考えてみた。

安全な囲いだとも表現できる警察の保護を打ち切って、
自分達が歩きたいルートを進んでみるのはどうか。

この時浮かんだ考えをTRY4日目に実行してみることにした。
しかし、地域内の安全を守っている警察の立場としては
私たちが自由に歩くことを受け入れがたいようであった。

警察もこちらの考えに最初は反対していたが、30分を超える私たちの長い説得の末、
ようやく何とか先導を打ち切ることに同意した。

そして、私たちはそれまで警察が進入を許可してくれなかった安養市内を歩いてみたり、
地図を見ながら歩道の上を歩いたりもした。
歩道のブロックがでこぼこだったので
途中途中で歩くのが大変だったり遅くなったりしたが、
それまであまり交流することのできなかった
地域に住む多くの市民たちと触れ合い
TRYの趣旨や障害者の生活の現状についてアピールすることができた。

その日、私たちは30kmという
水原コースとしてはTRY期間中最長距離を歩き、
歩きながら電動車いすのバッテリーが放電するなどのトラブルに見舞われもしたが、
皆その分達成感を味わい、もっとお互いを励ますことができた。

TRY5日目。この日も雨が降っていた。
しかし、2日目の時に既に雨を経験していただけに大きな問題は生じなかった。

ついにソウル市に入った日。
前もって烏山(オサン)コースチームと連絡を取り、この日合流することにした。
竜山(ヨンサン)に向かう道。
私たちの胸はワクワクしていた。

そして合流。合流した時には、
まるでTRYのゴール地点に到着したかのように参加者同士抱きあって再会を喜び、
その感覚は夜眠る時まで残っていた。

ついに最終日。
私たちは烏山、天安(チョナン)コースチームと合流し、
総勢60名余りの大行進をした。

9つ全てのチームの合流予定地である清渓川の五間水橋に向けて
皆で最後の力強い一歩を踏み出した。

まるで最初の日に踏み出した一歩のように、
他のどんな日よりも足取りに元気を感じた。
私たちは歩き始めてから終始一貫して掛け声をかけながらソウルの中心部を歩いた。
そして全参加者の合流、200名余りの団結した大行進。
私たちはTRY期間中一番の感激を味わった。

「進め自立、社会も変われ!」という2007 ASIA TRYのスローガンを耳にした時、
最初はなぜか聞きなれない感じがしたが、
それは不思議なことではなかったかもしれない。
辞書の中にある「自立」という言葉は、
大学で日本語を専攻していた時、
漢字の意味を知ることで簡単に理解することができた。

しかし、なぜ「自立」を掲げて、
その上社会までも変われと叫ばなければならないのか
十分に納得できないままTRYに参加することになったことも事実であった。

前の職場を退職し、
若干の生活費でも稼ごうかと知り合いの勧めで始めた介助の仕事。

そして2007 ASIA TRYへの参加が、
何の変哲もない一人の平凡な会社員として
過去何年かを生きてきた私に新しい刺激を与えたことは明らかだった。


パク・チャノ(韓国)
@2001年、私は韓国の正立会館で社会福祉士として仕事をしながら、
韓国に自立生活の理念と運動を広めようと活動していた。
そして、その年の9月から
ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の3期研修生として
日本で約1年間研修を受けることが決まっていた。

同年春、私より1年先にダスキンの研修生として
日本にいたソ・ミンスがTRYを準備していた。

そして彼が研修中ということで韓国に来ることができないため、
代わりに松島さんが準備のため韓国に来ていた。
韓国側からもアン・ヒョンジン君など何人かの障害を持つ大学生らが一緒に準備をしていた。
この時、メインストリーム協会の佐藤さんにも出会った。

彼らは私の職場である正立会館を訪問し、
イベントに協力してもらえないかと提案をしてきた。
私は手伝ってあげてほしいと上司に相談してみたが、
上司達はTRYに関心もない様子で、
「釜山からソウルまで障害者が歩くなんて本当にできるのか。」と言った。

正直私も半信半疑だった。
実際、「日韓TRYが無事に成功するのか。」
「やってみて大変だったら途中で辞めるに違いない」などと考えたりもした。

結局、正立会館からは積極的な支援は難しく、
韓国側のTRY実行委員会の事務所を提供すること、
TRY期間中にはバス及び講堂を貸し出すことくらいの支援をすることが決まった。

Aこのように準備していた韓国側の学生のうち、
何人かは途中で辞めていき、残った何人かが韓国DPIに協力を依頼し、
DPIのイ・ソック先輩らが支援しながら日韓TRYは開催を迎えた。

その夏、私は日本からヒューマンケア協会の塚田さんらを招き、
韓国でピア・カウンセリング講座を2回連続で行っていた。

こんな理由もあってTRYには参加できないと言い訳をしていたが、
正立会館での出発式を終えてTRYスタート地点である釜山へ向かうため
バスに乗り込むTRY参加者達を見送りながら、
当時30歳になった私も「参加してみたかったな」という思いがよぎった。

当時、韓国では移動権運動(交通アクセス運動)が盛んに行われていた。
ある地下鉄の駅に設置されているリフトが墜落し
障害者が死亡した事故をきっかけに障害者の移動権運動が始まり、
ソウル駅でテントを張って政府や地下鉄の会社に対策を要求するデモが行われていた。

この移動権運動に参加している障害者達はTRYを批判しつつ、
代わりに自分達と一緒にデモをすればいいのにと口惜しそうに話していた。

2001年8月、このような状況の中で釜山からソウルまで歩いたTRYは
成功のうちに幕を閉じた。

そして私は「一緒に歩けばよかった」という考えがしばらく頭から離れなかった。
しかし、こうして私はこの時のTRYを通して
ダスキン研修が始まる前からメインストリーム協会を知ることになった。

私はその時期、過労などが原因で腎臓が悪くなり急遽入院することになった。
家族や医者は日本の研修には行かない方がいいのではないかと言った。

私がもしTRYに出会っておらず、メインストリーム協会を知らず、
健康のことだけを考えてダスキン研修に行っていなかったら
私は今ごろどんな道を歩んでいただろうか。

TRYを通して、私は障害を持って挑む自分の人生が間違っていなかったことを知った。
そして、専門家としてではない、
障害当事者パク・チャノとしての自分自身としっかりと向き合うようになった。

そして一年後、
日本での研修から韓国に戻ってソウル自立生活センターを立ち上げた。

それ以来毎年センターの職員達と共にメインストリーム協会へ研修に行くようになったが、
それからもあの時TRYに参加できなかったことをいつも後悔していた。

そんな時、メインストリーム協会の職員旅行で韓国に来た人達が
「韓国でDPI世界大会も開かれるし、
これを機会に2001年日韓TRYの同窓会でもやってもう一度歩きたい」と話していたことが、
2007 ASIA TRYの始まりとなった。

私達のセンターではソウル市にプロポーザルを書いて補助金を申請し、
本格的にTRYを準備しようと職員達と話し合って決めた。

2007 ASIA TRYを準備しながらも、
私は主催するセンターの責任者として事故が起こらないかなど多くの心配をした。
しかし、2007 ASIA TRYが最後に清渓川の広場でゴールした瞬間、
それらのことは全て空の彼方へ飛んで行ってしまった。

そして、ゴール地点で私達を出迎えてくれた廉田さんを見つけた時、
「廉田さん、私も野宿しながらTRYをしました」と心の中でつぶやいた。

本当は、責任者としてあれこれと気を使わなければならなかったため
大変なことも多かったし、
人工透析を受けながらのTRYだったため
100%全部は歩けなかったということもあったが、
これまで夢見て憧れてきたTRYを自分もしたという自信が湧いたのだった。

私はTRYがあったからこそ日本へ研修に行き、
社会福祉士という専門職についてくる安定と収入を捨て、
自立生活センターで仕事をすることを選ぶことができた。

200名余りの2007 ASIA TRY参加者達は、
ささやかではあったかもしれないが人生の挑戦に成功したのであり、
やり遂げたという経験が自分自身の自立生活を
実践していく上で大きな自信になるであろう。

2001年の日韓TRYが、
端から見ていた私に日本へ研修に行こうと決意させ、
その研修が私の人生の転換期になったように、
参加者と私達を見守ってくれた
多くの人々はこれからの人生の選択の瞬間にTRY(挑戦)を思い出すであろう。
そして自分達が社会を変えなければいけないということにも気づくはずだ。


リン チュンチェ(台湾)
今回トライに参加できて本当によかったです。沢山ことを体験しました。
まず自分の国から色んな準備を始め、人とお金を集めました。

自分で海外に行ったことがありますが、
やはり沢山の人を連れて行くとは違うだなと思います。

色んなチャレンジもしました。
行く時も航空会社とトラブルがあって交渉しました。
台湾では障害者が飛行機に乗る時はまだ色んな差別があります。
だから、障害者は物じゃなくて、
お客さんとしてちゃんと意思を尊重してくれたらいいなあと思って、
これからも改善しに行きたいと思います。

今回のイベントで沢山の研修生と再会してとってもうれしかったです。
皆それぞれ自分の国で同じ目標に向かって
社会を変える仕事をしていることを見て沢山の力をもらいました。
うれしかったです。

そしてまたいろんなアジアの人と出会ってトライをやることも私にとって、
とても貴重な経験になりました。

トライの間はメンバーも喧嘩しました。
普段は、皆は、喧嘩は悪いことだと思っているけど、
今回トライの間にあった喧嘩はとてもよかったなあ自分が思ってます。

皆、自分が考えてることを沢山言って、
打ち解けて最後一緒に終点に向かったことはよかった思います。

そして、韓国で色んな風景を見て、地元の人と交流できてよかったと思います。
忘れられない思い出になりました。

でもちょっと残念だったことがあります。
今回のトライは自分が来る前にイメージしたものとはちょっと違いました。
自分がイメージしたトライは
全部のことは自分たちが相談したあとに決まるのです。
どこで寝るとかそして歩きながら沢山遊びます。
アピールも沢山します。
でも今回の路線はあまり人がいなかったところです。
アピールもあまりしなかった。
ちょっと残念だった。

だけど、今回のトライを参加を通じて
台湾のメンバーは前よりもっと仲良くになりましたと思います。
そして自分自身も変わりました。
台湾に帰ってもっと勇気を持っています。
どんなことがあったでもあまり怖くないです。本当によかったです。


チャイ・スー・ファン(台湾)
最初は、日本で研修していたダスキン仲間と会いたいし、
TRYが面白そうから、参加したいです、
日本にいる間、参加したいために募金とかTシャツを売るとか一生懸命やりました。

韓国に着いてから沢山日本の友達に会いました、とても嬉しかったです。
皆はこちあちに寝袋で寝たから面白かったです。
私はいつも興奮しているからあまり寝なかったです。

28日にとても暑かったですけど楽しかったです、話しながら歩きます、
2時間後でゴールに着きました、

多分ちょっと 疲れたからお弁当はあまり食べなかった、
それからコースを分かれて本当のTRYを始まりました、
電車に乗って皆が いるから日本みたいです、

色々な冗談を話して電車に一番煩いのは私たちです、
電車に降りまっすぐコンビニの前に寝ると決まった、
私はちょっと吃驚ですけど面白そうですから賛成しました、

でも午前は暑かったから今皆はちょっと臭くなったからお風呂に入りたいなぁと思った
最後はジンジンバンに行きました、初めでお風呂屋さんに行きました、

日本にいる間、私はだめだから全然行ってなかった今度は本当に頑張りました、TRYだから。

その後の毎日はずっと雨だった、
暑くないからそなに悪くないと思った、歩きながら大きい声でスピーチをしました、
あとデパートの前に皆の国の言葉でスピーチもしました、
歩きながら道の人とか車中の人とか皆は応援してくれましたから、
一日歩も全然疲れませんでした。

駐車場で寝るとか長い距離で歩くとか色々な新しい経験をもらいました、
皆と色々話した、TRYを参加してから 
何でも怖くなくなった、言葉や道が分からなくでも大丈夫ですTRYだから。
今度のTRYは短かったですけど楽しかったです、
日本からとか韓国からの色々な支援してくれたからほんまにありがとうございました。


リヴェラ・マリア・ロウェナ・バウティスタ(フィリピン)
2007年8月28日から9月2日まで開催されたASIA TRYに参加するため、
初めて韓国のソウルに行った。

そしてアジア各国から集まった障害者と共にASIA TRYに参加した。
様々な人に出会えてとても良かった。
私たちは各グループに分かれて歩いた。
TRYは、私が権利ある人間として立ち上がるために役立ったし、
私達はどんな障害を持っていても何でもできるんだということを社会に訴えた。
毎日長時間歩いたが、グループの仲間達と一緒だったので楽しい時間を過ごせた。
私達は一つの家族のように寝食を共にした。
それぞれが抱える問題を皆で共有し、そこから多くのことを学んだ。 
親切にしてくれた方々、
そして私をASIA TRYの参加できるようにしてくれた方々のことを
私は決して忘れないだろう。
そして韓国に行けるよう支援をしてくれた皆さんに心からお礼を言いたい。


メイ・サミス(カンボジア)
韓国に行く前、日本のメインストリーム協会で研修していた時にTRYについて知り、
TRYはとてもダイナミックで面白そうなイベントだというイメージがあった。

廉田さんが始めたこのイベントは今や国を越えた大きな運動となった。
セミナーホールやセンターなどの建物の中で行うのではなく、
道(道路)の上で行われるこの運動こそ、本当の草の根の運動だと私は信じている。

アジアの異なる国々から来たメンバー達が一つの家族のようになり、
それぞれの経験や、文化、宗教、各国の状況などについて語り合うよい機会となった。
雨の中を歩いたりしてとても大変だったが、
ゲームをしたりふざけて笑ったりしながら歩いたのでとても楽しかった。

歩きながらその日の宿泊場所を探したり、
韓国の伝統文化について学んだりもできて嬉しかった。

TRYのような障害者運動が社会を変え、
私たちの目標も達成されるのであろう。私は本当に社会を変えたい。

私たちは毎日サウナや駐車場、福祉館などで眠った。
また私たちの活動に関心を持ち、協力してくれる韓国の人々にも出会った。
たくさんのことを経験したが、その中でも思い出深いのは、
駐車場で野宿をしていた時のことだ。
朝の6時30分に警備員が来て起こされ、7時までに出て行くようにと言われた。
この日のことは決して忘れないだろう。

私たちは自分達を取り巻く社会を変えただけではなく、自分達自身をも変えた。
なぜなら、
多くの友人を作ることで自分の心の中、内面を変えることができたからだ。

ASIA TRYから学んだこと
TRYを通して、アジアの異なる国々から参加した参加者達から多くのことを学んだ。
そして私は、
自分の国と地域を変えることにもっと自信を持てるようになった。
このイベントをカンボジアでもやってみたい。
そしてアジアの国々から友達みんなを招待して一緒に協力してもらいたい。
TRYがアジアの全ての国々で行われ、
世界の全ての人々に廉田さんの志が広がることを願う。


パルハット・ユスップジャノフ(カザフスタン)
私は日本でダスキンの研修で10ヶ月間ぐらいいました。
そのときはたくさんの人に会って、いろいろな団体で研修しました。
そして、いろいろなイベントに参加しました。
そのイベントの中ではトライの募金とトライの会議でした。
もちろん、私はこのイベントに参加したとき、
100パーセントでがんばりました。けれども、
トライはそんな大きくて、おもしろいイベントになるのをそうぞうがなかった。

でも、韓国に着いてから、私の前のトライについての考えかたは変わった。
最初の日に、全員は一緒に歩きましたとき、とてもあつかったけど、
私はこの暑さを全然感じませんでした。

私が感じしたのはみんなと一緒の志と社会を変える目的でした。
この志と目的はトライの最初からずうっと私の心であります。
いまもおなじです!

グループに分かれた後で、
私たちはオオサンコースを始まりました。
私たちのグループの中でいろいろな国の障害者のリーダーがいましたので、
私たちのグループは一番おもしろくて、楽しいグループでしたと思います。

歩くときは、みんな歌を歌ったり、ゲームをやったり、
トライの意味をまわりの人に説明したり、いろいろな国のことばでわるいことばを憶えたりしました。

夜の時、韓国の伝統的なサウナや、駐車場や、福祉センターなどでねました。
私たちが会った韓国の人はとてもしんせつでした。

たとえば、福祉センターでねたときは、
センターの偉い人は最初にたくさんの障害者を見て、びっくりしました。
けれども、すぐとても綺麗なへやを準備して、
私たちにどうぞうだとゆって、しょうたいしました。

次の日に、私たちに韓国の伝統的なお茶セレモニをとてもじょうずにはっぴょうしました。
そのときは私とほかのみなさんは韓国の伝統的な服をきました。
このイベントと、韓国の人のしんせつなこうへをよく憶えています!

最後の日に私たちは他のグループメンバーに会って、
ゴールの所にいきました。
そこでは私たちのたくさんの友達は待っていました。

ゴールに着いて、みんなとてもうれしかったです。
私たちはたくさんのペットボトルに水をいれて、となりの人の上になげて、で、早く逃げました。
とってもとっても楽しかったです。

トライで私のいがい視覚障害者がいませんでしたので、
このトライは私のために特別でした。
車いすの人と聴覚障害のある人と一緒に一週間いて、
いろいろな活動をやって、たくさんのもんだいをSolveしたりして、
私の自分についての考えかたはかわりました!

トライは社会を変えるためのイベントです。
私たちは歩いたとき、韓国の人の障害者について意見を変わりましたとおもっています!

少しか、たくさんか、わかりません。
けれども、ぜったい変わりましたとおもっています。
ですので、私はカザフスタンでも、このようなイベントをとてもやりたいと思います。
カザフスタンの社会福祉と障害のない人の障害者について意見はとてもわるいから、
トライみたいのイベントをやらないと、
社会を変えるのはとてもむずかしくなるかもしれません。
ですから、カザフスタンの社会をかえるためにカザフスタンと外国の仲間と一緒にがんばります!


クリシュナ・ゴータム(ネパール)
07年夏、どんな障害があっても地域で自立して生きるという
強い思いを世界に発信するため、
アジア諸国からの200名の障害者を交え、
ソウル自立生活センターによって、2007アジア・トライが開催されました。
参加者は7グループに分かれ、ソウル近郊から中心部まで野宿しながら歩きました。

カトマンズ自立生活センターは、
8月28日から9月3日まで開催された2007アジア・トライに、
ネパールから3名参加しました。
3名はそれぞれ違うグループに分かれ、
私はオサングループ、ガネッシュはスオングループ
そしてボーズワースはインチョングループに入りました。

メインストリーム協会とKOCの援助によって開催された、
この素晴らしいイベントに参加することが出来ました。

今回初めて韓国を訪れました。
障害者の置かれている困難な状況を変えていこうと、
日本から参加した友人たちや他のアジアの国々から参加者と共に、
国・社会・市民に歩きながら訴えました。

特に今回は、どんなに重度の障害を持った障害者でも、
社会の一員として生きていける社会を作っていこうと呼びかけました。

開会式で私はネパールからの代表として、
何百人もの参加者の前で演説できたことは、大変光栄なことでした。
その後、正式にアジアトライがスタートしました。

私はオサングループに合流しました。
ここには日本・台湾・マレーシア・フィリピン・カンボジアそして韓国から
の代表者たちが集まっていました。

私たちは電車に乗り、オサン市の郊外まで行きました。
オサン市は、本当に美しい楽しいところでした。

初めての夜、まず私たちは夕飯をとり眠れる場所を探しました。やっと見つけました。
そこはサウナで、熱い湯と冷たい水を楽しみ、そこで一晩やすみました。

翌朝早い時間にシャワーを済ませ、歩く準備に掛かりました。
その日は朝から激しい雨でした。
私たちはレインコートを身に付け、その上ポリ袋を使って全身を被いました。

韓国で過ごした時間をどのように説明したらいいのか・・・言葉に尽くせません。

私たちは歩き続け、訴え続けました。
公共の場所を見つけては立ち止まり、道行く人たちに私たちの思いを訴えました。
私たちはそれぞれの国の言葉と英語を交え、
声が人に届くようにと、大声で訴えました。

みんなで声を合わせて、
「トライ、ファイティング」と叫びました。
チラシも配りました。
日が暮れると、ねぐらを探しました。
雨の中を1日でおおよそ100キロ歩いたのです。

幾晩かをサウナで泊まり、
幾晩かを道路やビルの下で寝袋にくるまり過ごしました。

ある晩、私たちは数軒の建物しかない田舎で、ねぐらを探していました。
そこでサウナを見つけ中に入ってみると、
そこには部屋いっぱいに、大勢の人が裸で横になっていました。

一人分のスペースも残っていません。
みんなで話し合い、結局、外で野宿することにしました。
ある建物の入口近くの通りで寝ました。
その時、すでに朝の4時近くでした。
ところが6時ごろ、
銀行のガードマンがやって来て、口笛を吹き、「起きろ、起きろ!!」と声をあげました。
私たちは仕方なく起きて、
もう一度あのサウナへ行き、眠り込みました。その日は夜になって歩き始めました。

とうとうソウルの中心部に到着しました。
様々な場所から出発した他のグループの仲間たちもみんな集まり、
喜びを分かち合いました。
それは素晴らしい瞬間で、涙を流した仲間もいました。
その涙は喜びと幸せの涙です。
私たちはみんな一緒に韓国の民族舞踊を観ました。
私たちも一緒に声を上げて手拍子を打ちながら、踊りの輪に加わりました。
大きな集団となって、公共の場所に集いました。
暖かな歓迎を受けました。
障害者の著名なリーダーたちにもお会いし、それぞれに紹介し合いました。

閉会式が始まり、アジアトライの創始者である廉田さんが演説しました。
彼は過去の出来事や、アジアトライを通して、
障害者の暮らしやすい、バリアの無い、
共生する世界を実現していくことを話しました。

そして、人は誰もが自分の暮らす場所を選ぶ権利があり、
トライがアジアの国々に広まっていくようにと話しました。
最後に、主催国である韓国と参加者に謝意を述べました。
続いて、他のゲストもスピーチを行いました。

私は今回初めて、韓国で行われたアジアトライへ参加しました。
韓国は美しい国であり、充実した福祉政策があります。
素晴らしい国だと驚いています。まさに躍進している国です。

ここで私は、主催された韓国、主催者、PWD韓国そして私の友人である
参加者のみなさまにお礼申し上げます。
特に、この素晴らしいイベントを始められた廉田さんに感謝いたします。

そして私と友人がネパールから参加する幸運な機会を与えてくれた、
メインストリーム協会、ソウル自立生活センター、
KOC、DPIと他の日本と韓国の障害者のみなさまに感謝いたします。

このイベントに参加して大きな影響を受けています。
ネパールでも開催したいと大いに興味を持っています。
アジアトライは下記の点で有効だと思われます。

1.障害種別を越えて障害当事者やそのリーダー達が一つの場所に集まり、
  彼らの知識や経験を共有できる。
2.社会の人々が障害という問題について認識し、変化が始まる。
3.強いネットワークができる。
4.国と国との間の協力関係や兄弟ネットワークができる。
5.障害者達が生活の方法や、社会福祉、
  各国の発展について知識を得ることができる。


ミーホン(マレーシア)
障害者は自分の考えを表現できないと信じられてきたが、
バリアフリーを含めての障害者を取り巻く環境の重要性について声をあげたのは、
地域で自立生活を願う障害者にとり、
大きな意味のあるイベントでした。
このイベントを通じ、
社会は障害者の尊厳や自己決定、完全な社会参加、
機会均等や地域で生活することを尊重すべきと、強調できたと考えます。

しかしながらこれらの問題は、
健常者の障害に対する無理解やバリアの環境に影響されています。

このイベントよって、
アジア諸国からの参加者の間でのネットワーク作りの好機になりました。
それに加えてイベント後には、交通等のアクセスがより改善されるだろうと願っています。

イベントの目的:「地域で自立して生きる」」
報告1:歩くこと
参加者の中には、「歩くこと」を目的に、楽しみながら歩いている人もいました。
目的地に到達することを目標に、ひたすら歩き続けていました。

報告2:自立の意味と社会における障害
地域で自立して生きる障害者にとって、
地域の人たちの理解を得ることだけではなく、
障害者自身が、自立して生きるということ、
すなわち、障害者自身の強い意志や自分で決めるということを認識し、
理解し、共有することが非常に大切です。
これは私見ですが、韓国の参加者だけではなく、
日本からの参加者の中にも、自立の意味を
よく理解できていない障害者がいるのでは・・・と感じました。
例えば、トライの開催中歩きながら、障害者が地域で自立して生きていきたいと訴えました。
しかし、その目標に向かって私たちがどのようにしたらいいのか、
何が私たちの自立を阻んでいるのか、
具体例をあげて訴えることが出来ませんでした。(もちろん言葉の問題もありましたが)

所見1
参加者が目的をより理解しやすいように、前日に状況説明するのはどうか。

所見2
トライの開催中ただ歩くのではなく、郵便などを使い、
「我々は障害者です。しかし、我々に障害があるのではなく、
この社会に障害があるのです。」と訴えるのもより効果的では。

所見3
トライのイベント後、運動をどう継続して訴えていけばよいか。
例えば、イベント中に、駅のアクセスについての調査結果を当局に渡したが、
何ら改善策は取られていない。